ツイン・ピークス 再び

「25年後に会いましょう」
「ツイン・ピークス」の最終話で、ローラはクーパーにささやいた。

まさか律儀に25年たって続編が作られるとは思わなかった。
6月の後半、PCを開くたびに、これでもかと出てくる
WOWOWの「ツイン・ピークスThe Return」の広告。
「負けないぞぉ~」と思ったが、結局負けてWOWOWに加入。
取りあえず先行放送で第4話まで観た。

そもそも「ツイン・ピークス」の第1話が放送された時に
性格が素直な人は、このドラマはミステリーだと思ったに
違いない。それが2話、3話と話が進んでいくうちに、
次第に雲行きが怪しくなってくる。

私は、映画の「ブルー・ベルベット」が大好きで、そこから
「ツイン・ピークス」に行った派なので、出てくる人、出てくる人
みんなどこか変という「ツイン・ピークス」の異様な空気に
どっぷりハマった。

何とも言えず、嫌~な、気持ちの悪い、それでいて
妙におかしくもある「ツイン・ピークス」の世界は
やったことないけど、多分ドラッグみたいなもので癖になる。

新シリーズでも、その異様な世界観は健在だ。
ネタばれはしないが、25年前よりCGの技術が発達した分
SFっぽい演出が多くなったように思う。話の舞台も
ツイン・ピークスだけでなく、ニューヨークやラスベガス
など都市に広がった。その分さらに難解な、ほぼ理解不能な
話になっていきそうな不吉な予感もあるが。

私は、観た人が、どんな風にでも解釈できる
自由度の高い映画やドラマが好きなので
「ツイン・ピークス」に関しては
ドラマの全体像を理解しようと苦労するより
ジグゾーパズルのパーツを吟味するように
ひとつひとつのパーツを楽しみたいと思う。
ぴったりきれいにはまるかは保証できないけど。

ただ普段みているのが
分かりやすくてお花畑のような国産のドラマ
という人が、もし「ツイン・ピークス」を観たら
どんな感想を持たれるのか、ちょっと知りたい気がします。


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残穢ー住んではいけない部屋

少し前に「劇場霊」を観て「これはコメディなのか?」と
腑に落ちない思いをしたので
当分邦画のホラーはやめておこうと決心したのに
性懲りもなく「残穢」を観たのは
原作が、一番好きなホラー作家の小野不由美さんだから。

「残穢ー住んではいけない部屋」(2016)
 監督 中村義洋
 出演 竹内結子 橋本愛 佐々木蔵之介

ミステリー作家の私(竹内結子)は、読者の投稿をもとに
実話怪談を書いている。そんな私のもとに、女子大生の
久保さん(橋本愛)から、住んでいる部屋で、畳を擦るような
奇妙な音がするという手紙が届く。その部屋は事故物件
ではないのだが、彼女の前に住んでいた住人は、転居後
自殺していた。私と久保さんは、怪異の原因が、部屋では
なく、マンションの建っている土地にあるのではと考え
調べていくうちに…

意外にもこれは、私がわりと好きなタイプのホラー映画
だった。一口にホラーというけれど、実は何を怖いと思うかは
まさに十人十色。首がちぎれたり、内臓が出たりといった
ゴア描写が多い映画は、私にとっては、怖い映画ではなく
気持ちが悪い映画。悪魔とか殺人鬼に追っかけまわされる
お化け屋敷タイプは「まあ、これは現実にはないわな」という
心理的な距離感があるので、恐怖とはちょっと違う。
それじゃあ、何が怖いかというと「これ、あるかも」と感じる
ような映画が、まさにツボだ。ホラー映画の評価が「怖い」
「怖くない」と極端に分かれるのは、映画の優劣というより
単純にこの相性の良しあし、好みの問題なのだろう。

「残穢」は怪現象を、二人の女性が論理的に解明しようと
する点で「リング」と同じタイプ。けれど、その過程で、次々に
出てくるエピソードの一つ一つが、映像化されると相当怖い。
娘が結婚した夜に首を吊った女性、ゴミ屋敷に暮らす老人
赤ん坊を何人も殺した母親、精神を病んだ男。過去に起きた
様々な不幸をさかのぼり、そのルーツをたどると、それは
遠く離れた福岡の炭鉱で、100年以上前に起きた炭鉱の火災
にあったというのは、かなりすごいことだ。

ランダムに伝播する呪い、祟り。どこで穢れに触れたのかも
分からず、逃れるすべもないとなれば、いや、これは怖いわ。
私は原作未読なのですが、読んだ人によれば
「本のほうが怖い」とのこと。ホラーというのは、映画のように
ビジュアル化したほうがより怖いと思っていたので、これはもう
近いうちに読むしかありません。

メゾン・ド・ヒミコ

「メゾン・ド・ヒミコ」(2005)

監督 犬童一心
出演 オダギリジョー 柴咲コウ 田中泯

ちょこちょこ同性愛的な題材の映画をチョイスするけど
自分では特にBLが好きという意識はない。
ただマイノリティなものに感情移入しやすいんだろうな
とは思う。この映画もそんな一本。

かつてゲイバーのママをしていた卑弥呼(田中泯)は
ゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を造り
老いたゲイたちと共同生活をしていた。
卑弥呼の恋人の春彦(オダギリジョー)は
末期癌で余命僅かな卑弥呼のために
昔卑弥呼が捨てた娘沙織(柴咲コウ)に
「メゾン・ド・ヒミコ」でのアルバイトを持ちかける。

自分と母親を捨てた父を憎み、ゲイを激しく嫌悪して
いた沙織が、いろんなゲイたちと関わるうちに
次第に心を開いていく。そんな物語だが、老ゲイたちの
言動はとてもコミカルで、じめじめしたところがない。

自分たちが、世間的には認められない存在だと
分かっているけど、卑屈さはない。自分が望んだ
生き方を貫いて老いたことへの後悔もない。
その人間としての矜持を、存在自体で表現したのが
田中泯さん。田中泯がゲイの役をやるって、なんか
すごいことだなと思ったんだけど。もう二度とない
かもしれない。

沙織は、ゲイたちに抱いていた偏見を捨て、人として
彼らに愛情を感じることができるようにはなったけど
最後まで父親を許すことはできなかった。
この、無駄にお涙頂戴にならない展開が素敵。
そして、柴咲コウはまさに適役という感じだった。

もう一人、卑弥呼の恋人春彦を演じたオダギリジョー。
最近は個性の強い役が多い感じだが、この時は
卑弥呼に対する想い、沙織に魅かれる心の揺らぎ
といった、すごく秘めやかでデリケートな感情を
とても静かに演じ切っていて、彼の映画の中では
マイベストかも。

ともあれ、素材のユニークさと、俳優さんたちの
まさに適材適所という好演で、地味ながらも
かなりポイントの高い映画ではありました。
こういう、オリジナルの脚本で、少ない登場人物で
じっくり人間ドラマを見せてくれる。洋画にせよ
邦画にせよ、それもまた映画の捨てがたい魅力
だと思うのですが、そういう映画が少なくなった上に
地方では上映してくれる映画館がないという、とても
悲しい時代になってきてる気がします。

ソーシャル・ネットワーク

この監督さんだからとか、この俳優さんだからというので
映画を選ぶことは少ないのだけど
実は、デヴィッド・フィンチャー監督の映画は
ほとんど観ていたことに気づいた。

やはり最初に観た「セブン」の印象が
あまりにも鮮烈だったことが大きい。
めったに読まないノベライズまで読んだくらいだから。

そのフィンチャー監督の8作目
「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)

ハーバード大の学生マーク(ジェシー・アイゼンバーグ)
は、恋人のエリカに振られた腹いせに、ネットに彼女
の悪口を書き込んだうえに、大学のコンピューターを
ハッキングして、女の子の格付けサイトを立ち上げた。
サイトは大人気になるが、マークは大学中の女子学生
から総スカン。さらに、大学から処分を受ける羽目になるが
彼の優れたプログラミングの才能に目をつけた友人に誘
われ、後のFace bookの原型になる、コミュニティサイトを
立ち上げる。

世界最大のSNS Face bookの創設者マーク・ザッカー
バーグの実話なのかと思いきや、当のザッカーバーグの
「キャストの衣装だけは、自分の着ていたものと同じ」
というコメントでも明らかなように、マークの性格や人間像
は、どうやら完全なフィクションらしい。

天才的な才能の持ち主ではあるが、いわゆるオタクで
根暗で、成功はしたもの、親友にも見放されるような
友達になりたくないタイプではあるのだけど。
この映画の最大の魅力は、ラストシーンにあった。

Face bookの大成功で、アメリカンドリームの具現者と
なったマークが、エリカに友達申請をするが、承認されず
マークは何度も更新を繰り返す。
世界中の人々が、ネットワークでつながることを可能にした
男が、いちばんつながりたかった、たった一人の女性に
拒絶されるラスト、切なかったです。

これが実話かどうかということには大きな意味はなくて
テクノロジーにできないことは何なのか
ネットワークと人間との本質的な差異を描くのに
マーク・ザッカーバーグというキャラクターが、まさに
ぴったりだった、そういうことなのだろうと思います。

そして、ザッカーバーグは、この映画に対して
決して好意的な反応を示したわけではありませんが
極めて異色な脚色を施された自分の物語に
強く抗議をしたり、批判したりしなかったというところに
アメリカの文化が、今でも自由な創造性を失っていない
と思えて、とても羨ましくもありました。



モノノ怪

2007年から深夜帯で放送されたアニメだが
このアニメを家族に教えてもらったのは
かなり後になってからだった。

全編を一回観ただけで
レンタルにもなく、新品はDVDでもかなり高価。
でもこれまで観たアニメの中では
TV「攻殻機動隊」シリーズなどと並び
マイベストに余裕で入る秀作だ。
そして先行作の「怪~Ayakashi」を
未だに観れてないことが何とも心残り。

「座敷童子」「のっぺらぼう」「化け猫」などの5編
12話からなり、モノノ怪を退治できる退魔の剣を
使う謎の薬売りが、人に憑いたモノノ怪を祓う…
というような単純な話ではない。

どことどこが現実で、どれとどれが幻想なのか。
何が人で、何が怪なのか、場面ごとにくるりくるりと反転
していき、観る者を夢とうつつの見分けもつかない異界へ
誘いこんでくれる。

映像も色彩も、とにかく全てが美しい。
CGを使って、虚構と現実の境をあいまいにする手法とは真逆で
背景の静止画のように、二次元を強調することで
独特の異次元空間を見せてくれる。

そしてモノノ怪が立ち現れるゆえんは真と理と形なのだという。
その本質は、人間の内なる怨念、あるいは情念。
「モノノ怪」がただの妖怪アニメ、勧善懲悪のお話じゃないのは
私たちが生きるこの社会に存在する残酷さや理不尽を
きっちり描いているから。
そもそも、人間自体がモノノ怪なんじゃないかと
モノノ怪とは、合わせ鏡の中に映る自分たちの姿なんじゃなかろうか
と思えてくる。

私なんかも確実に何体か憑いていそうだけど
できることなら「のっぺらぼう」がいいです。
狐面ののっぺらぼうの切ない恋、素敵でした。
たとえモノノ怪だっていいじゃないか。
想いをかなえてあげたかった!



世にも怪奇な物語

まぎらわしいタイトルだけど、タモリさんがナビゲーターの
アレではない。

世にも怪奇な物語(1967) 仏・伊
 原作 エドガー・アラン・ポー

初めて観たのは「日曜映画劇場」で
たぶん中学生の時だったと思う。
細部はほとんど忘れていた。
唯一覚えていたのはラストシーン。

疾走する車、崩落した橋。
細いワイヤーが男の首を切断する。
白いワンピースの少女が、その首を抱えている。

先日GYAOで、数十年ぶりにじっくりと観ることができた。

この映画は、3話のオムニバス構成で
私の記憶に強烈に残ったのは3話目の「悪魔の首飾り」
監督がフェデリコ・フェリーニ 主演テレンス・スタンプ

イギリスの著名な俳優トビー・ダミット(テレンス・スタンプ)
は、フェラーリをくれるというので、イタリアでの演劇の
授賞式に出席する。
冒頭の、イタリアの空港も、受賞パーティーの場面も
風景や人物は、どこか奇妙に作り物めいている。
それは、現実なのか、それともアルコールとドラッグに
溺れたダミッドの意識で歪められた幻覚なのか。
はたまた腐敗した現実へのアイロニーか。
そんなダミッドを、少女の姿をした悪魔が誘う。

恐怖というよりも、全編に退廃的な美しさが漂う。
あ~、これぞまさしくヨーロッパの文化の香り(笑)
でもやっぱり、白い服着た、金髪の女の子は怖かった。
薄笑いを浮かべた目元や真っ赤な唇の禍々しさは
絶対夢に出てきそうです。
このラストシーンが、半世紀近く経っても
私の記憶の底に張り付いていたわけが分かったような気がします。



ホラー大全

珍しく図書館へ行って、目についたので借りてきた。
「ホラー大全」
クライヴ・バーカーと、スティーヴン・ジョーンズの共著

クライヴ・バーカーは「血の本」シリーズなどの小説家であり
「ヘル・レイザー」シリーズなどの映画の監督さんでもある。

この本は、ホラーの歴史や分析をする解説書ではない。
「A:アメリカン・サイコのA」「C:カオスのC」
「N:ナイトメア(悪夢)のN」というように、ホラーを構成している
魅力的な要素をAからZに分類して、作者の私見を述べた
とてもユニークなホラー論だった。

映画だけではなく、対象はポーやラヴクラフトの文学、演劇
絵画と幅広いが、やはり半分以上が映画のお話。
ホラー映画の、ターニングポイントになった作品というのは
「サイコ」「エクソシスト」そしてトビー・フーバー監督の
「悪魔のいけにえ」という話は、心から納得。

欧米では、宗教的な背景もあって、悪魔とか、悪霊とか
吸血鬼のように、邪悪で強大な力を持つ存在に襲われ
それと闘うという話が、ホラーの大きな流れとしてあった。

しかし「1957年の冬、ブレインフィールドという、アメリカの
どこにでもあるような小さな農村で起きた、エド・ゲイン事件は
アメリカ人の恐怖に対する概念を根底から変えた」のだ。

このエド・ゲイン事件をもとに、ロバート・ブロックが「サイコ」を
書き、それを原作とする映画「サイコ」が作られた。
ここから、たくさんのホラー映画が派生して、作られていく。

前書きには「ほとんどのホラーは、人間という存在における混沌
(カオス)の噴出を扱っている」とある。
この世界がどれほど、平和で、安定して、満ち足りているもので
人間は、善意にあふれた美しい存在のはずだだと力説されても
私自身は、そんな幸せな現実や人生の中で生きてはいないから
むしろ、醜悪で、ぐちゃぐちゃぞわぞわで、おぞましくて
怖いものを見ているほうが、なぜか安らいだ気持ちになれるのです。
つまり私の頭の中は、未だにカオスそのものということなのでしょう。

後妻業の女

直感で映画を選ぶと、息を詰めて観るような映画ばっかりに
なるので、さすがに体にもメンタルにも良くない。
ということで「明るい映画を」と、オンデマンドで
「後妻業の女」をチョイスした。

原作は黒川博行氏の「後妻業」 で原作は未見。

監督、脚本 鶴橋康夫
出演 大竹しのぶ 豊川悦司 尾野真千子 etc.

実話をベースにした小説や映画は多い。
前回の「葛城事件」もそうだし、「怒り」や「凶悪」
感動系の映画にもたくさんある。

そんな中「後妻業の女」は、「日本で一番悪いやつら」と同様の
コメディ仕立て。結婚相談所のパーティで知り合った資産家の
老人と結婚し、財産を乗っ取る女小夜子(大竹しのぶ)
彼女を裏であやつる黒幕で、結婚相談所の所長柏木
(豊川悦司)。父親の遺産を取られて、小夜子の犯罪を暴こう
とする姉妹(長谷川京子、尾野真知子)
それに探偵やら、小夜子の息子のチンピラやらが入り乱れて。

舞台が大阪ということもあって、会話も、しゃべり方も、登場人物
の性格も、すべてが直球勝負で、妙に生々しい。だから、何だか
いい人なんか一人もいないように思えてしまう。

この映画は、悪事を働く人間だけにスポットを当てるのではなく
一見被害者に見える人間たちの側の行動や感情も
平等にリアルに描くことで
すべての人間に共通する「業」を描いてるのかなと思う。

いい年をして、色仕掛けにだまされる老人も
たいして親の世話をしていないのに、財産をとられたとたんに
血相変えて取り戻そうとする子供たちも
そんな人間の弱さと、法の盲点につけこんで
金をむしりとろうとする詐欺師たちも
愚かさと醜さ、つまり業の深さでは似たりよったり。
だから滑稽でもあり、ちょっと哀れでもある。

しかし、観る者のそんなチンケな感傷を吹き飛ばすのが
殺されても死なない、無敵の女
後妻業界のレジェンド小夜子。
いやあ、大竹しのぶさん、すごかった!

そして、クールでかっこいい美青年トヨエツは
もうどこにもおらず、いやらしい、中年のおっさんの
トヨエツがいました(泣)でも、もうかっこつけなくていいから
トヨエツ楽しそうだったなぁ!


葛城事件

封切りの時から気になっていた映画だったので
「葛城事件」を、オンデマンドで鑑賞。

監督 赤堀雅秋
出演 三浦友和 南果歩 新井浩文 若葉竜也 田中麗奈

親から受け継いだ小さな金物屋を営む葛城清(三浦友和)は
マイホームを建て、妻(南果歩)と、長男保(新井浩文)
次男稔(若葉竜也)を育ててきたが、支配的、高圧的な清の
もとで、内向的な保は会社をリストラされ、妻子を残して自殺。
父親に反抗した次男は、引きこもりになり、無差別殺人を犯す。

この映画ほど、観ている人の立場<男性(父親)女性(母親)
子供>で、感想が分かれる映画も珍しいんじゃないだろうか。
ヤフーのレビューに「自分の育った家庭とそっくり」という感想
があったのもうなずける。

長男の自殺とか、次男の無差別殺人とか、センセーショナルな
事件の部分を除いてみると、案外、どこにでもあるような家族の
風景、親子のやり取りが描かれているからだ。

葛城清という父親は、本当にそれほどどうしようもない、ひどい
男なんだろうか。「男は、家を建て、一国一城の主として、家族を
食わせていく」ことを最高の価値と考え、それが清のプライドの
拠り所でもあった。男として、夫として、自分はちゃんと務めを
果たしているのだ。それの、どこが悪い、何が間違っている。

「俺が一体何をした」

清のこの言葉は、開き直りではなく、彼は本当に分からないのだ。

そのわけを、とても象徴的に表しているシーン。
それが、リストラされた長男が、行く場所がなくて、父親の店に
顔を出す場面。彼は、失業したことを誰にも言えず、父親にも
「営業の途中で寄った」と嘘をつくのだが、いつも父親が
店番をしている椅子に座る。ほとんど客が来ないさびれた店と
並んだ商品の隙間から見える、ほんのわずかな表の風景。
清は、生涯、たったそれだけの世界の中で生きてきた。この
あり得ないくらい狭い世界で。

葛城清という男の人生を、観る者に一瞬で訴えかける、この場面。
これが映画の凄さであり、面白さだなと思う。

社会が豊かになり、均一なものになるに従って
住宅メーカーのCMに出てくるような「理想の家族」という
イメージが広がった。地域社会の縛りがゆるくなった代わりに
「家族」の呪縛が、家族を苦しめていると言ったら言い過ぎだろうか。
ぶっちゃけ、家族のコミュニケーションって、実は難しいのに。

そう言えば「渇き」という映画の中でも
役所広司さんが楽しそうに演じていた、イカレた刑事のオッサンの
「理想の家族」の幻想シーンが、笑ってしまうくらい凄かった。

「葛城事件」を観て、葛城清のどこがどうおかしいのか
(息子を殺そうとしたことは別として)もう一つピンとこない方は
家庭崩壊の危険性があるので、気をつけてくださいね(笑)

不発弾

「震える牛」「ガラパゴス」が面白かったので
発売を待ちわびていた相場英雄さんの新作。

相場英雄さんは、時事通信社の記者から作家に転身。
記者時代は、相当自主規制して記事を書いていたが
フィクションの世界だったら、何でも書けるというスタンスで
食品や流通、自動車業界などの裏側に迫った。

で、新作の「不発弾」
このところ度々ニュースになる、東芝の「不適切会計」問題と
連動する。正直、私のような低所得層の庶民が
経済関係のニュースを読んでも、よく分からない。
報道されている範囲でも分からないくらいだから
その深層に、なにがあるかなんて、分かるはずがないんだけど。

警視庁捜査二課の警視小堀は、老舗電機企業
三田電機の「不適切会計」に疑問を持つ。
内々に調査を進めた小堀は、三田電機の上層部と
深いつながりを持つ古賀良樹(遼)という男の存在を知る。

大牟田出身で、幼い頃に父親を炭鉱事故で失くした
古賀良樹は、底辺の暮らしから抜け出すために、証券
会社に就職。証券取引所の場立ちから、営業マンへ、
上司に認められて実績を重ね、金融コンサルタントとして
独立する過程で、三田電機とのつながりを深めていく。

バブル期に本業そっちのけで、財テクに奔走した企業や
地方銀行、信金や年金基金は、大蔵省の方針転換で
大きな損失を抱えることになる。損失の隠蔽、飛ばし。
その陰で暗躍する外資系の証券会社。

作者は「これはあくまでもフィクション」と宣言しているから
この小説の、何が真実で、何がフィクションかを考えるのは
読者に委ねられている。

東芝問題はともかくとして、実体経済とは次元の違う
株や証券などの金融経済の凄さと恐ろしさが
ざっくりとではあるが分かりました。
いや、分かったからといって、何がどうなるわけでもない
んですが、金融経済の大きな変動は
巡り巡って、私たちの生活を揺さぶることも
ありますから、メディアとかネットの情報だけ見て
信用していたら、足元すくわれるかも。

「不発弾」は、誰が犯人かを追及する犯罪小説ではなく
それぞれの時代に、それぞれの場所で生きた
人間たちの群像劇でもあります。誰が悪いのか
何が悪いのかを考える以上に、この社会には
個人の力ではどうしようもないものが
うんざりするくらい、たくさんあるなと思いました。

プロフィール

田中偲

Author:田中偲
50年以上映画を見続けてきた、でもただのミーハーな映画好きの、備忘録的感想文

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