クロウ/飛翔伝説

生きている間に、この映画をもう一度
しかも4Kリマスター版で観れるとは思わなかった。
ケーブルで放送があったのは、ピエロつながりで
「IT」との連動企画とか、まさかね。

クロウ/飛翔伝説(1994)

監督 アレックス・プロヤス
出演 ブランドン・リー アーニー・ハドソン

最初に観た時に「あっ、これは好きな映画」と思った。
監督がどうとか、ストーリーがどうとかいう以前に
映画の漂わせている雰囲気全部が好き、そういうタイプの映画。
原作のこととか何も知らずに
初めて「ブレードランナー」を観た時の印象に近い。

舞台は、荒廃したデトロイト・シティ
悪魔の夜と呼ばれる、ハロウィン前夜。
結婚式を翌日に控えた、エリックとシェリーは
部屋に乱入してきた四人のならず者たちに惨殺された。
一年後、カラスの魔力によって、エリックは墓場から蘇る。

アメコミ原作なので、ストーリーはわりとチープな感じ。
復活したエリックが、白塗りにピエロのメイクで
自分たちを殺した人間たちに復讐する。
エリックは、不死身ではあるが、決して
スーパーヒーローではなく、超人的な能力とかは
ないので、格闘シーンなんかはかなりヨロヨロ。
カラスが加勢してくれて、何とかなっている感じ。
にもかかわらず、この映画が私にとって、なぜそれほど
魅力的なのか。

一言でいえば、とにかく暗いのだ。
デトロイトの、ディストピアぽい雰囲気に加え
ほとんどが夜のシーンか、雨のシーン。
音楽は、全編ハードロック。
ゴシックホラーというと、ドラキュラみたいな
時代がかったイメージが強いのだけど
この「クロウ/飛翔伝説」は、かなり斬新なゴシックホラー。
そして、この陰惨さがたまらない。くせになる。


エリックを演じた、ブルース・リーの息子
ブランドン・リーの存在感はハンパないが
この映画の撮影中に、不慮の事故で死亡という
あまり例のない、いわくつきの映画でもある。

リブート版製作の情報もあるけれど
私はなんだか「クロウ/飛翔伝説」は
ブランドン・リーの遺作だけを唯一無二のものとして
封印しておいたほうがいいような気がするのですが。
あっ、いや、決して、呪われるとか思ってるわけではないですが。
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検察側の罪人

映画化されるというニュースを見て、読んでみた。

「検察側の罪人」 雫井脩介

雫井さんの小説は、これまでにも「犯人に告ぐ」
「火の粉」「虚貌」など、ほとんどハズレがないので
相性がいい作家さんなんだと思う。

大田区で、都筑という老夫婦が殺されるという事件が
起きた。本部係検事の最上は、若手検事の沖野に
その事件を担当させる。被害者の都筑は競馬好きで
競馬仲間に、資金を用立ててやったりしていた。その
中の一人松倉は、17年前の女子中学生殺害事件の
容疑者だったが否認を通し、事件は時効になった。

どんな手段を使っても、松倉に罪を償わせようとする
最上と、あくまで法律にのっとって裁かれるべきと
考える沖野。かつては、最上を尊敬し、その期待に
答えたいと思っていた沖田だが、最後は告発者となる。

本を読み終えても、誰が一番悪かったのか、簡単に
答えを出せる話ではない。極端な言い方をすれば
松倉のような正真正銘のクズのせいで、最上や
沖野が、自分たちの人生を壊してしまうことの
不合理。けれど、そういう手段に訴えるしか
罪を償わせる手段がないという理不尽。更に
そうした全ての苦悩と葛藤が報われない結末。

殺人の時効は撤廃されたが、何の罪もない人間の命
が奪われて、犯人はその罪に見合うだけの罰を
受けていないと感じるような事件が増えている。
作者は、ミステリー性云々よりも、その理不尽さに
対する激しい憤りという自らの情念を描きたかった
のではないかと思う。

映画化にあたって、一番難しいと思われるのは
検事から殺人者へという、およそ常識とはかけ離れた
気持ちの変化を遂げる最上という検事の造形だと思う。
どこまで、観る人を共感させることができるだろうか。

雫井さんの小説は、基本的にハッピーエンドには
なりません。でもハッピーエンド嫌いの私には
このモヤモヤ感がいいんだと思います。

アイデンティティー

wowowの番組表の「驚愕の展開どんでん返し映画」という
うたい文句につられた。美容とか、ファッションとか
健康関係の宣伝にひっかかることは、まずないが
映画とかドラマとか本だと、見事にひっかかる。

「アイデンティティー」(2003)
 監督 ジェームズ・マンゴールド
 出演 ジョン・キューザック レイ・エリオッタ

豪雨のせいで、さびれたモーテルに泊まることを、余儀なく
された10人の男女。交通事故で重傷を負った女性と、その
夫と息子。事故を起こした車に乗っていた女優と、もと刑事の
運転手(ジョン・キューザック)結婚したばかりのカップルと
娼婦。そして凶悪犯と、彼を護送している刑事(レイ・エリオッタ)
しかし女優が残虐に殺されたのを手始めに、正体の分からない
殺人鬼によって、ひとり、また一人と殺されていく。

私は単細胞だから「な~んだ。定番のパニックホラーじゃん。
これなら楽勝」と思った。しかも、人がザクザク殺されていく。
あっという間に半分くらいになって、死体を冷凍庫に隠してた
なんていう、いかにも怪しいモーテルの管理人なんかもいて
「この中で、一番怪しくなさそうな人が犯人だな」と考えたのだが。
モーテルの管理人が犯人だと「サイコ」のパクリみたいだから
それはないだろうなどという、極めて安易な消去法。

しかし、この映画、実は寄って立つ世界そのものが異質だった。
こういう、現実を錯覚させるようなストーリーは、確かに映像の
ほうが向いている。この結末は、好き嫌いが分かれそうだけど
私は「やられたっ」って感じで、気持ちよくだまされたので
思いもよらない掘り出し物だった。

小説でも時々、まったく想定外の結末を描いたものに出会うこと
があるけれど、言葉を重ねて、こういうタイプのどんでんを
仕掛けようとすると、すごく複雑な伏線を張らなければいけなか
ったり、結末ありきでストーリーが不自然になったりするので
やっぱり映像のほうが向いているように思える。

この数年、海外のドラマを観ることが増えて、映画を観ていても
「この人どっかでみたことある」というのが多くなりました。
「アイデンティティー」では、連続殺人犯を演じたプルイット・
テイラー・ヴィンス。「メンタリスト」のラローシュ捜査官でした。
最近では、糖尿病が心配な体型になっちゃってますが
かなり俳優歴が長い、個性的な俳優さんです。


猿の惑星 聖戦記

これはもう、映画館で観るしかない映画だった。

「猿の惑星 聖戦記」

監督 マット・リーブス
出演 アンディ・サーキス ウディ・ハレルソン

「創世記」「新世紀」とハマりにハマった「猿の惑星」新シリーズ。
優れた知能を持ち、言葉を話せるシーザーの成長物語も
これで最終章。すわ人類VS猿類、最終決戦かと思いきや
前二作が、わりとシンプルな構成だったのに比べると
「聖戦記」は、格段に重層的な性格を備えた物語になっている。

「新世紀」から2年後、シーザー(アンディ・サーキス)率いる
猿たちの集団は、山の奥深くに築いた砦で暮らしていたが、
そこを兵士たちに見つかってしまう。シーザー殺害を企てた
マカロック大佐(ウディ・ハレルソン)は、シーザーの住み家を
急襲。妻と、長男のブルー・アイズを殺害した。
怒りに燃えたシーザーは、仲間を安全な土地へ逃がし、自らは
単身、大佐を追って、復讐の旅に出る。

これまで、猿たちのリーダーとして、仲間たちの自由と幸福
のために戦ってきたシーザーの戦いは、今回は私怨。
妻子を殺された悲しみと憎しみだけで、無謀な行動を重ねる
シーザーに、親友のモーリスが言う。
「シーザーは、人間への復讐にとらわれたコバと同じだ」

ここまできたら、もはや猿の世界のお話ではない。
前回のコバとシーザーの戦い以降、人間の側についた猿たちが
いて、さらに人間サイドも、対立する二つの集団がある。
そして、リーダーとしての自覚も、大義もなく、暴走するシーザー。

怒りや憎しみが生むのは、終わりのない戦いの連鎖。「聖戦記」の
舞台は、あまり陽のささない深い森、そして雪山。前二作に比べて
全体のトーンはとても暗い。そんな中、未来へのかすかな希望を
感じさせるのが、言葉はしゃべれないけれども、人間とか猿とかの
種族の差異の感覚がない少女ノバ、そして動物園で、人間の言葉
を覚えた、新種とも言えるチンパンジーのバッド・エイプ。
リーダーとしての使命感を取り戻したシーザーは、捕らえられた仲
間を救出し、新天地へ誘った後力尽きる。

私は、1960年代に作られた「猿の惑星」から始まった過去の
シリーズはほとんど見ていないので、新シリーズは独立した物語
として観ましたが、今回のシーザーは、もはや人間にしか見えず
猿VS人間という異種の物語の形をとってはいますが、実は
同一の種でありながら、わずかな差異で際限なく争い続け
戦い続け、そこに解決の手段を見出そうとしない人類は
やがて滅亡への道を歩むほかはないという
この世界のメタファーという意味合いが、よりくっきりと
したものになっているように感じてなりませんでした。

新リア王

選挙が始まって、選挙カーが走り回るようになると
読み返したくなるのが、高村薫さんの「新リア王」
青森県選出の衆院議員福澤榮と、その一族の
四十年余にわたる三部作の第二部の物語。

国会を脱走して、故郷の青森に戻った榮は、晴子
という女性との間に生まれた庶子、彰之が暮らす
雪深い草庵を訪れる。

「新リア王」には、1980年代当時、国家の中枢にいた
政治家たちが、数多く実名で登場する。55年体制が
崩壊し、自民党が主流、反主流に分裂するなかでの
解散総選挙。その最中に、大平総理が急逝した。

四十年近く昔の話とはいえ、候補者やその家族
スタッフや支援者の行動や心理には、そう大きな
違いはない。描写は緻密でリアルで、政治家というもの
選挙というものは、おそらくこんなものなんだろうなと思う。

民主主義が、政治が、そして選挙が、イデオロギーの対立
ではなくなって長い時間が流れ、政治は、無数の利権の
やり取りを争う場になった。それでも、候補者たちは、変革
のイメージを喚起する言葉を重ね、有権者の前に、なんとか
バラ色の未来の設計図を描いてみせようとする。

平成の初めまでは70%前後だった投票率が、近年では
5割近くまで下落して、政治家たちの言葉が、もう私達には
届かなくなっていると思えるのは、私が悲観主義者だから?

世襲制の必然を信じて、息子の優を政界に送り出した榮は
青森県知事選挙で、無謀な選挙を戦ったあげく、その息子に
惨敗する。

本来なら、生臭くギラギラする政治の世界を、彰之が語る仏道の
言葉と対比させて、是もなく非もなく語り上げた、この壮大な物語
の帰結は諸行無常か。その美しさが病みつきになる。

高村薫さんの小説は、1回読んだだけでは、頭に入りません。
「新リア王」も、7、8回は読み返しています。読むこと自体が
忍耐を伴う修行みたいなものですが、最後のページにたどり
つくと、言うに言えない快感みたいなものがあります。単に
私が、読書に関しては、どMというだけなのかもしれませんが。

淵に立つ

これも多分「観る人を選ぶ」なんて言われそうな
映画になるのかもしれませんが。

「淵に立つ」(2016)

監督 深田晃司
出演 古館寛治 筒井真理子 浅野忠信

鈴岡利雄(古館寛治)は小さな金属の加工工場を
営んでいる。家族は妻の章江(筒井真理子)と娘の蛍。
ある日、利雄の古い友人で、殺人で服役し出所してきた
八坂(浅野忠信)が利雄の工場を訪れ、住み込みで
働くことになる。

いやあ、こんなに肝心のところを何も説明してない映画も
珍しい。だから観る側の受け取り方で、かなり解釈が
違ってくるんじゃないかと思う。

利雄の家庭に八坂が入り込んだことで、一見平穏に
暮らしていた家族、特に妻の章江の気持ちが激変し
それが、大きな悲劇を生む要因にもなった。

八坂は、この映画の中では、表の顔と裏の顔を使い分ける
わりと分かりやすい悪のように描かれているが
実際には、娘の蛍の怪我が、八坂のせいだったのか
というところも明らかにされてはいない。

だから視点を変えてみると
過去に八坂の犯罪に関わっていながら
そのことをまったく章江に話しておらず
八坂を雇い入れることについても
一言も説明しない利雄はどうなのか。
信仰を持っているはずなのに、なし崩しに
八坂に、女として魅かれてしまった章江はどうなのか。
この映画の中で、誰が一番悪いと思うかと聞かれたら
正直答えに詰まってしまう。

冒頭の三人の食事シーンで
利雄は、妻と娘の会話にも行動にも関心がなく
妻と娘は、二人の世界で会話しているのだけど
こういう家族は普通にありそう。
家庭という入れ物はあっても、お互いに共感はなく
ひとりひとりは、孤独で不安定。
だから八坂という異物が入ってきたことで崩壊した。

娘の蛍が重い障害を負ったことで
利雄と章江は、夫婦の形を取り戻し
献身的に蛍の世話をする父と母になるのだが
家族の前に、八坂の息子と名乗る青年が現れたことで
悲劇は再び繰り返される。

もしも、八坂と利雄の過去が全て明らかにされていたら
八坂が蛍に直接危害を加えたという設定だったら
この映画は、かなり違う展開になっただろう。
そもそも、人間って、そんなに単純な感情で動くもの
なのだろうか。実は、一つ屋根の下で暮らしていても
分からない、もしかしたら、自分自身でも理解不能な
様々な感情に揺さぶられながら、日々を生きているん
じゃないのか。

ただ私が最後まで、その気持ちが理解できなかったのが
章江が見る、八坂の幻影の意味。
あれは恐怖なのか、それとも…。
こんな具合で、全部観る側に丸投げされているのに
しっかりと芯が通っている感じが心地よかったです。
改めて「ああ、これは理解できる」と思える映画と
誰が観ても「分かりやすい」映画というのは
明らかに別物なんだなぁと思いました。

偉そうなこと言ってますが、現在「ツインピークスThe return」に
大苦戦中。わ、わからん(泣)

セッション

少し前に録画したのだけど
「ジャズ」の映画というのが何か敷居が高くて
保留していたのを、涼しくなってきたので観た。
で、出てきたスキンヘッドのおじさんに見覚えがあると思ったら
いつも観ている「クローザー」のポープ本部長!

「セッション」(2014)

監督 デイミアン・チャゼル
出演 マイルズ・テラー J・Kシモンズ

ニーマン(マイルズ・テラー)は、一流のジャズドラマーを夢見て
名門のシェイファー音楽院に通っていた。ある時、フレッチャー
(J・Kシモンズ)というカリスマ教授の目に止まり、彼のバンドに
スカウトされたが…

フレッチャー教授の指導のもと、ニーマンたちが練習しているのは
ビッグバンドと言われる、楽団で演奏するスタイル。フレッチャーは
テンポやスピードに異常なほどこだわり、メンバーは楽譜を完璧に
暗譜し、音程もテンポもわずかな狂いも許されない。

なんだか、ジャズの話というより、漫画の「のだめカンタービレ」の
変なマエストロが出てくるクラシックの世界に似ている。
下品な差別用語の嵐や体罰、暴言、とても教育者と言えないような
ほぼ性格破綻者で偏執狂のフレッチャーだが、ニーマンは
どれだけ虐められても、フレッチャーに食らいついていく。

けれど意外に、この二人似た者同志なのかと感じたのは
ニーマンが、自分から好きだと告白した女性に「ドラムを
叩く時間がなくなるから」と、これまた一方的に別れを切り出した時。
屈折した劣等感の反動としての、異常なくらいの上昇志向や
相手の気持ちを全然考えない自己中心的な言動が
微妙にフレッチャー教授とかぶるのだ。

しかしニーマンは、所詮怪物フレッチャーの敵ではない。
彼の夢は叩き潰され、とうとうニーマンはドラムを諦める。
ところがフレッチャーは、そんなニーマンにさらに追い打ちをかける。
なにしろ、過去の生徒の中には、うつ病で自殺した人がいるほど
フレッチャーの攻撃は、徹底的に陰湿で容赦がない。

そんな二人の関係性が、画期的に変化する最後の演奏シーン。
ニーマンは、フレッチャーの指示を完全に無視して
自分で選んだ曲を、自分の思い通りに演奏する。
これは「和解」でも「勝利」でもなく「訣別」なのだと思う。

長い間、フレッチャーという存在に、良くも悪くも支配されてきた
ニーマンが、その呪縛から自分を解放し
自分のドラム、自分の音楽をつかみ取った瞬間でもあった。

何が正解なのかは分からない。指導者に従順に従うことが、上達し
一流になるための道なのかもしれない。指導する側は、それが
正しいと確信しているのかもしれない。
教師と生徒、指導者と弟子、あるいは、夫と妻や親と子などで
フレッチャーとニーマンのような関係は、あんがいありそうだ。

そこから自由になるためには、もの凄いエネルギーが必要で
ニーマンみたいに満身創痍になるかもしれないが、それでも不可能
ではないと感じられたことで、私には「ああ、いい映画だなぁ」
と思えた一本でした。
でもシンプルな映画なのに、切り口が多いので
感想を書くのは、すごく難しかったです。

チャーリングクロス街84番地

いつも感想を書いている映画とは対極にある
これといった大きな事件がまったく起こらない映画。
のみならず、主役の二人が一度も顔を合わせない
という、別の意味で、かなりすごい映画でもある。

「チャーリングクロス街84番地」(1986)

原作 ヘレン・ハンフ
監督 デヴィッド・ジョーンズ
出演 アン・バンクロフト アンソニー・ホプキンス

NY在住の、貧しい小説家ヘレン(アン・バンクロフト)
は、英文学の稀少本の収集が趣味だが、アメリカでは
その手の本は高額。そこで、新聞広告で見かけた
ロンドンの古書店マークス社に、注文の手紙をだす。
すると店主のフランク(アンソニー・ホプキンス)から
ていねいな手紙と一緒に本が送られてきた。

それからの20年にわたる往復書簡が原作で、副題は
「書物を愛する人のための本」らしい。
人間関係も含めて、現在では絶滅しているか、絶滅
寸前のアイテムが、そこここに散りばめられている。

文通、価値のある古書、古書に対する愛着
人と人の信頼関係(商取引だけでないプレゼントの
やり取りや、代金の後払い)良質のユーモア。
私のように、未だスマホを持たない、時代とずれてる
人間には、なくなってほしくないものばかりだ。

大戦後、ロンドンの食糧難を知ったヘレンは、度々
マークス社に食料を送り、フランクだけでなく
店の従業員みんなと、家族のような付き合いを
続けた。ヘレンが、エリザベス女王の戴冠式の時に
渡英するというので心待ちにしたが、実現しなかった。
ヘレンが来ないことを知った時のフランクの落胆。

それじゃあ、これは恋愛映画なのかというと
それはちょっと違うような気がする。

ヘレンが言う。
「私のことを本当に理解してくれるのはあなただけ」
つまり、彼女の、書物に対するこだわりや愛着、愛情を
理解してくれたのは、フランクだけだった。フランクもまた
ヘレンのユーモアのセンスや文才を愛し、ヘレンとの
交流を楽しみにしている。けれど彼には愛する妻も
二人の可愛い娘もいて、ヘレンに対する気持ちは
いわゆる男女の愛情というのではなく、かといって
友情というのとも微妙に違うように感じるが
そのあたりの真実は、ものすごくデリケートに
フランクを演じたアンソニー・ホプキンスに聞かない
限り分からないと思う。

「羊たちの沈黙」のレクター博士で、すっかり怪優のイメージ
になったアンソニー・ホプキンスですが、私のマイベストは
この「チャーリングクロス街84番地」と、これまた地味地味な
「日の名残り」なのは、自分でも不思議です。

赤い羊は肉を喰う

著者の五條瑛さんは、防衛庁で情報・調査関連の仕事を
されていたという異色の経歴の作家さん。

東京の、下町の空気と人情が残る八丁堀。
内田偲は、社長の内田(同姓だが他人)を入れて
わずか3人という小さなリサーチ会社の計数屋。

偲は、ひったくりにあった老人を助けた笙という浪人生と
笙の幼なじみの理香子と知り合うが、理香子が、何者かに
殺されてしまう。

過激なプロモーションを展開する「kohaku!!」というアパレルの
ブランドと、それを率いる渡辺エスターという男。

渡辺は、かつてナチズムにも通ずる、大衆心理の操作という
テーマを追求したワタナベ・グループなる天才集団の一人。
彼は、人間の悪意を操作することで、大衆を煽動できる
ことを実証しようとし、その計画に気づいた偲たちは
それを阻止しようとする。

ささやかな日常を大切にし、隣人たちと助け合い、真っ当に
生きようとする人たち、偲や笙や、桐細工の店の女将や
若旦那などのキャラクターがすごく丁寧に描かれている。
彼らが、大衆をコントロールしようとする渡辺たちと対峙する
ことで、その危うさや異常さがより際立ってくる。

結果的に偲たちは、渡辺の企みを阻止することはできなかった。
日比谷バベルという大型ショッピングセンターのオープニング・
セレモニーで起きた、些細なアクシデントをきっかけに
詰めかけた聴衆が店に乱入して、商品を略奪し始め
飾られていたガラス器やスツールが倒壊して
降り注ぐガラスの雨が、人々の血で染まる。
水晶の夜の再現ともいえるこの光景は、凄惨だが美しい。

この小説は、殺人事件の犯人云々が主眼ではなく
とても丁寧に張り巡らされた伏線と
天才集団VS無名の市井の人々という魅力的なキャラクターたちが
混然一体となって、ドラマチックなラストを迎えるという
ミステリーとしては異色だが面白い話だった。

実は、高村薫さんも、五條瑛さんも、ある意味BLちゃあBLで
その方面の熱烈なファンの方もいます。私は、特にBL要素に
注目して読んでるわけではないのですが、高村さんにしろ、
五條さんにしろ、ものすごく壮大な仕掛けで、そういう人間模様
を描くことができるのが、何気にすごいなと思います。

この本は、私のお気に入りの一冊なので、HNはここから
お借りしました。

凶悪

2013年の日本アカデミー大賞にノミネートされたけど
確か最優秀賞は取れなくて
「まあ、それはそうだろうな」と思ったのを覚えている。

誰が観ても、楽しいとか、感動したと感じるのとは
対極にある映画。観る人を選ぶなんて言われる系かな。

「凶悪」(2013)
    監督 白石和彌 
    出演 山田孝之 リリー・フランキー ピエール瀧

ちょうど「そして父になる」も封切られていた時期で
「凶悪」を先に観ると、リリー・フランキーさんが、絶対いい人
に見えなくなるから「そして父になる」を先に観たほうがいい
というアドバイスを見かけて、それに従ったのは正解(笑)

原作は「凶悪 ある死刑囚の告発」というドキュメンタリー。
雑誌記者藤井(山田孝之)のもとに、死刑囚須藤(ピエール瀧)
から手紙が届く。彼は、自分にはまだ余罪があること、そして
そのいくつかの殺人の黒幕が、「先生」と呼ばれている、
不動産ブローカー木村(リリー・フランキー)だと告白する。
須藤の話を聞いて、藤井は事件の取材を始めるのだが

須藤は、暴力団の組長だから、人を殺すこと、人の命を何とも
思っていない。一方非力な木村が、須藤を支配できるのは
一にも二にも金の力。木村は、金のためなら、どんな残虐な
ことでもできる人間だ。けれど、奇妙なことに、彼ら、特に木村
には驚くほど罪悪感がない。まるで、レジャーのように、嬉々と
して、人を殺したり、ばらばらにしたりする。

それでいながら、木村には家庭があり、娘もいて、須藤も
犯罪を重ねる一方で、思わぬ人間性を見せたりもする。
彼らは、果たして生来の犯罪者であり異常者なのか。

それとも、と思わせるのが、電機屋の老人を殺すエピソード。
牛場電機の一家は、お金に困っている。木村は、酒好きの
父親に掛けられている保険金に目をつけ、老人をだまして
大量の強い酒を飲ませて殺すのだが老人の、妻も、息子夫婦も
この計画を知っていて黙認している。果たして、凶悪なのは
直接に手を下す人間だけなのか、これが人間の本性なのか。

そして記者の藤井もまた、家庭では、認知症の母親や、その介護に
疲れ果てた妻との軋轢を抱えながら、仕事を口実に、現実から
目をそらし、ただ沈黙しているのだ。

この映画は、善人の視点から、凶悪な人間を描いたものではない。
だから「こんな悪いことしたらいけませんよ」みたいな空気や
なぜ、彼らはそうなのかみたいな分析的な視点もない。
それでも、映画に漂う底なしの陰惨さは、悪は、ある意味
人間に普遍的なものという暗示が込められているからで
それが、救いようのない、嫌な後味にもつながっていると思う。

「凶悪」は、同じく実話ベースの「冷たい熱帯魚」と比較されることが
ありますが、「冷たい~」は中盤までは緊張感がありますが、終盤に
かけて、どんどんユルい感じになっていくので、最後の最後まで
ほとんどウェットな展開にならなかった「凶悪」のほうが好きです。

余談ですが、最近映画版「64」前編、後編を観て、やっぱり映画は
終わらせ方が一番難しい。近年の邦画は、最後がグダグダで
「何じゃ、こりゃ」な感じになるのが増えた気がします。



プロフィール

田中偲

Author:田中偲
50年以上映画を見続けてきた、でもただのミーハーな映画好きの、備忘録的感想文

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