pink

先月福岡で開催された、岡崎京子の
「戦場のガールズライフ」という原画展を観た。

岡崎京子という漫画家を知ったのは
関川夏生さんが、平成11年に「リバーズエッジ」について
書かれた新聞記事を読んだからで、岡崎さんは交通事故で
重傷を負い、長期の療養に入られていた。

「リバーズエッジ」が面白かったので
その後岡崎京子の本を見つけると次々に読んだ。
その岡崎さんのたくさんの漫画の中で
「これ!この感じ!」と思ったのが「pink」

ユミは、昼間はOL,夜はホテトル嬢をしながら
部屋でワニを飼っている。掛け持ちで働くのは
ワニの餌代がかかるから。そんなユミちゃんは
ピンク色のものが大好きだ。

「pink」の何がそんなにツボだったかと言うと
岡崎京子の漫画に共通する
リアルと虚構のコンビネーション
その混ざり具合が絶妙だったのだ。

岡崎京子の漫画は「都会の若者たちの閉そく感」
と要約されるような、若者の孤独や焦燥や絶望
あるいは性といったリアルの部分が取り上げられることが
多いが、そのリアルなドラマの背景
あるいはドラマ自体にも、とてもユニークな虚構が
ちりばめられていて(「リバーズエッジ」の白骨死体とか
「pink」のワニとか「ヘルタースケルター」の全身整形美女
とか)そのおよそリアルとは思えない虚構が
リアルの部分を際立たせている。

この魅力的な虚構を生み出したベースにあるのは
作者が愛した、多くの映画や小説、絵画や音楽
なのだろう。今回の個展で、あの有名な「平坦な
戦場で僕らが生き延びること」が、SF作家ウイリアム・
ギブスンの詩だと知って、もう「参りました」って感じ
だった。私がSF映画や小説にはまりだしたのは、つい
最近のことで、ギブズンの名前を知って、まだ2年にも
ならない。なんか無駄に年を取ったなと思う。

もっと若い頃に出会いたかったと思うものが
今になって出てくる。もちろん、生きていれば
自分が面白いと思うものには出会えるものだけど
もうこれで十分だと言うには
人間の一生は、案外短いのかもしれません。
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エアー2.0

エアー2・0 榎本憲男 著

社会派ミステリーとかサスペンスとか
そのへんが一番好きなジャンルなので
色々検索しているうちにたまたま行き当たった一冊。
しかし、ものすごく面白かった。

2020年、東京オリンピック開催直前。完成間近の新国立
競技場で、日雇いの建設作業員として働く中谷は、およそ
肉体労働には不向きな、奇妙なおっさんと知り合う。その
おっさんはクビになる直前に、大穴馬券を中谷に託した。
その直後、建設現場で爆発や爆破予告が相次ぐ。

冒頭を読んで、シリアスなテロ関連の小説かと思いきや
ここから話は、想定外な方向にどんどん膨らんでいく。

おっさんは、配当金を届けにきた中谷と手を組んで
自ら開発した、完璧な市場予測システム「エアー」を
政府に提供するのと引き換えに、福島の帰還困難区域
を経済自治区として運営する権利を手中にする。

とまあ、見方によっては壮大な与太話ともファンタジーとも
言えなくはないお話なのだが「資本主義をもう一度まともに
やり直そう」とする、謎の老人の正体は?そして、原発事故
で不可逆の被害を受けた土地で始まった、理想的な未来社会
の実現の可能性は?とグイグイと引っ張ってくれるので、まさに
一気読みという感じだった。

財力だけですべての勝ち負けが決まってしまう社会は
たくさんの人たちが、学ぶ意味、働く意味、ひいては生きる
意味さえも見失ってしまう。それはおかしいんだ、間違ってる
と主張する話はあるが、それじゃあこうすればいいよという
ところまで、一気に見せてくれるというような小説はあんまりない。

もちろん、その理想を実現するには、莫大な資金が必要とか
エアーを動かすために、原発一基分の電力が必要など
というような、大きな自己矛盾を含んではいるが、それでも
読み終えた後に「何とかなるんじゃないか。可能性はある
んじゃないか」と思える爽快な読後感があった。
それはたぶん、今あるものを変えようとするのではなくて
ゼロから、まったく新しいものを作り出すこと。どうすれば、
というのは、私のお粗末な頭脳では分からないんだけで。

著者の榎本さんは、シナリオライター、映画のプロデューサー、
映画監督と、多角的なお仕事をされているようで、小説作品が
少ないことが何とも残念です。もっと、もっと売れてほしい!
そしたら、次の作品が読めるかも。


マークスの山

映画と同様、小説も恋愛物は数えるほどしか
読んでないが、これはその中の一冊。

高村薫さんの「マークスの山」

「これ、恋愛物か?」と突っ込まれそうだが
私としては恋愛オールマイベストの上位にある。

南アルプスの夜叉神峠で、排ガス心中をした夫婦の
子どもが保護される。その少年水沢裕之は、事故の
後遺症で精神に障害をきたし、病院や刑務所への
出入りを繰り返した後、連続殺人を起こす。
そして、犯人を追うのは、お馴染みの合田雄一郎。

裕之の意識は、三年周期で、明るい山と暗い山
にあり、明るい山の時期が来ると別人格になる自分を
彼は「マークス」と名付けた。

犯罪小説だが、捜査の過程と、水沢(マークス)の
エピソードが交互に語られるので、犯人は分かる。
しかし水沢が殺した人間たちの接点を探すうちに
過去に隠蔽され葬られた、まったく別の事件が
浮かび上がってくる。

看護婦の真知子は、幼い頃から独りぼっちだった水沢を
ただ一人温かく受け入れ愛してくれた女性。
彼女が撃たれたことで、全てに絶望した水沢は、独り山へ向った。
真知子の服とサンダルを持って。
やがて、山頂で凍死している水沢が発見される。

「水沢裕之の眼球は、雲海に浮かぶ富士山景を真っ直ぐに
見据えていた。その魂を犯し続けてきた《マークス》から
逃れ逃れてここに辿り着き、真知子と一緒に、一晩待ちわび
ていた天上の夜明けが、もうそこまで来ていた。」

このラストに泣きました。高村薫さんの小説は
この最後の数行あるいは数ページのカタルシスを描くために
これでもかというくらい細密なディテールを組み上げてあって
読み手にとってはそこがたまりません。
苦行の果ての快楽というかなんというか(笑)

ただ文庫版では、私が一番好きなこの部分が改訂されて
抒情性を抑えた、サラっとした感じになっていたので
私はハードカバーの単行本のほうが好きです。
ドラマにも映画にもなりましたが
このとおり、半端なく原作に入れ込んでいるもので
やはりどちらも物足りなさがありました。



アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

前回「イミテーション・ゲーム」のことを書いていて
「私は人間か、マシンか」のくだりで思い出したのが
「ブレードランナー」の原作のこの本だった。

最終世界大戦の死の灰によって汚染されつくした地球。
大勢の人間が火星に移住し、異星の環境で
下僕として働く、限りなく人間に近いアンドロイドが製造
された。しかし、火星で酷使されることに反発した
数体のアンドロイドが、地球へ脱走してくる。
賞金稼ぎのリックは、彼らを処分して賞金を得ている。

人間の社会に紛れ込んでいるアンドロイドたち。
誰が人間で、誰が機械かを見分けるのが、フォークト・
カンプフ検査法と呼ばれるテストだった。

放射能で、多くの生物が絶滅し、人間たちは
電気仕掛けの犬や猫、馬やヤギを飼っている。
そして人間たちの中にも、火星への移住を許可
されない特殊者、ピンボケと呼ばれる階層があり
それがイジドアだ。
そこにさらに、共感ボックスとかマーサー教といった
いわゆるスピリチュアルな精神世界的要素までが
加わり、この本は、科学技術一辺倒のSFとは
かなり趣が違う。(でも実はSF小説や映画が、科学技術
オンリーでないことが、最近やっと分かってきました)

人間とは何か、生命とは何か。
生きている、本物の動物を飼うことが
最高の贅沢であり、ステータスにもなっているような
あらゆるものが絶滅寸前の地球で、この本は問う。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」と。

この本との出会いは「ブレードランナー」を観たから
という、いかにもミーハーなものだったが
SFがそれほど好きでなかった私が
その後も何回も読み返したのは
筋の面白さだけで読ませる本ではなく
ある意味人類の未来を予見するような
広がりと深さを感じさせてくれたからなのだと思う。

映画の「ブレードランナー」は
リックとアンドロイドの対決を軸に描かれていて
それ以外の要素は大幅にカットされていましたが
小説と映画は、それぞれ肌合いの全く違う面白さがあり
どちらも、素晴らしくよくできていると思えました。
原作と映画の関係性を考える上で
とても参考になる作品なのではないかと思えます。

映画も本もなのですが、こういうコアなファンがおられて
優れた感想もたくさんある作品のことを書くのは
なんかおこがましい気がして、難しいです:(´◦ω◦`):


異邦人

今年の福岡は暑かった。
数日前の新聞記事によれば
8月の気温は、34度台が2、3日あるだけで
あとは全て35度超え。
夏も、太陽も大嫌いな私が、思い出したのがこの本。

「異邦人」 (1942) アルベール・カミュ作

「なぜ人を殺したのか」と問われて、ムルソーは答える
「太陽のせいだ」と。

最初に読んだのは高校生の時だから、40年以上昔だ。
不条理を描いた文学といわれ、そろそろ古典の仲間入りを
しそうな小説だが、文体も内容もさほど難解ではない。

第一部では「きょう、ママンが死んだ」という冒頭から
レエモンという友人のトラブルに巻き込まれたムルソーが
浜辺で出会ったアラビア人に向かって、5発の銃弾を
打ち込むまでの彼の行動が、淡々と語られる。

「なぜ人を殺したのか」と問われて、ムルソーは「太陽のせいだ」
という以上の、合理的な答えを見いだせない。
その答えを導くのは彼自身ではなく、検事や判事や弁護士
あるいは司祭や、彼が名前も知らない大勢の人々だった。

母親を養老院に入れたことに始まって、母親の葬儀で泣かなかった
こと、葬儀の時に煙草を吸ったりミルクコーヒーを飲んだこと
葬儀の翌日に海水浴に行き、恋人のマリイと喜劇映画を観たり
セックスしたりしたこと。

ひとつひとつは、誰でもやっているようなことで、もし親が死んだ直後
でなければ、特に問題にもならないようなムルソーの行動の
すべてが、殺人という行為と結びついて特別な意味を持ってしまう。
この小説では、もうひとつ、大きなテーマとして「神」の問題が
語られるのだが、そこは私の手には余るので言及しない。

ネットで、とてもたくさんの情報が発信されるようになって
何か事件が起きると、関係者についての情報があふれだす。
けれど、実はそれらはとても断片的なもので、それをうのみにして
「○○はこういう人間だ」と結論づけることはできないのではないか。
「異邦人」を読み返しながら、ふとそんな風に思う。

死刑が確定した後の、司祭とのやり取りの中で、ムルソーの内部の
何かが裂け、彼は「私はかつて正しかったし、今もなお正しい」と
叫ぶのだ。
「私はこのように生きたが、また別な風にも生きられるだろう。
私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが
別なことはした」
道徳がどうとか、法律がどうとか、信仰がどうとかいう次元の話ではなく
人間として、根源的に、自分は正しいと叫ぶ、ムルソーの主張。
それを是とするか、非とするかは、読み手に委ねられる。

自分自身の、いわゆる自我と言われるものと
外側の世界の、中には明確な根拠のない価値観を強要して
くる空気との間に、居心地の悪さやズレを感じるような人は
読んでみてもいいのではないかと。
でも「だったら人殺してもいいんじゃね」と考えるような人は
止めておいたほうが無難です。

プロフィール

田中偲

Author:田中偲
50年以上映画を見続けてきた、でもただのミーハーな映画好きの、備忘録的感想文

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