日本の一番長い日

毎年宝塚会館では、夏になると終戦記念日のあたりで
戦争映画が上映された。
「日本の一番長い日」(S42)
「連合艦隊山本五十六」(S43)
「日本海大海戦」(S44)と三年続けて観た中で、一番イン
パクトが強かったのがこの「日本の一番長い日」

今もぼんやりと記憶に残っているのは、いつも楽しそうに
ウクレレなんか弾いてる加山雄三が、確か終戦の玉音放
送をするNHKのアナウンサーで、放送を阻止しようとする
叛乱軍の兵士にピストルを突きつけられている場面と、三
船敏郎が演じた阿南陸軍大臣の切腹のシーン。

なぜこの映画が一番印象が強かったのかを、少し前に
ケーブルで放送されたのを観て、改めて考えてみた。
戦争映画にしては、悲劇性を協調したり、特定の人物を美化
しようというような空気がなくて、御前会議において降伏を決
定した昭和20年8月14日の正午から、国民に向けてポツダ
ム宣言受諾の玉音放送を行うまでの24時間の間に、この国
の中枢にいる人たちの間で何があったのかを、できるかぎり
事実に近い形で表現しようという、ドキュメンタリーのような
緊張感があったからだろうと思う。

 私は直接には戦争を知らない世代だが、父は終戦間近に
徴兵になって、鹿児島に従軍している。体は小柄で力もない
「自分のような人間が召集された時点で、日本は負けるだろ
うと思った」と後日笑って話してくれた。
 母一人子一人だった父は出征した時に小倉にお母さんを
残していった。長崎に原爆が落ちた頃に「北九州に原爆が
投下された」という噂が流れて、もし原爆で母親が死んでしま
ったのなら、もう小倉には帰らずにそのまま鹿児島で暮すつ
もりだったとも語った。

 今にして思えば、終戦から22年後に封切られたこの映画は、
終戦まで日本人が絶対的なものだと信じて疑わなかったすべ
ての価値観が崩壊し、新しい価値観が根付き始めた時代に
あの戦争は何だったのかを、ある程度客観的な視点で再検証
した、そういうことができるようになった、ある意味画期的な作品
ではなかったかと思う。

 しかしそのあたりを、体験者であった父に問うには、私はあま
りにも幼かった。それでも、理解できないなりに、ここには何か
「本当のもの」があると感じたのではないかと思うのだ。
三船敏郎
1963円
powered by yasuikamo



スポンサーサイト
プロフィール

田中偲

Author:田中偲
50年以上映画を見続けてきた、でもただのミーハーな映画好きの、備忘録的感想文

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア
amazon
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
映画
1101位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
レビュー
461位
アクセスランキングを見る>>
フリーエリア