桜の森の満開の下

「桜の森の満開の下」は坂口安吾が1947年(昭22)年に
発表した小説。

最初は定番通り「堕落論」にはまった。
「人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に
人間を救う便利な近道はない」といった言葉に心酔し
あろうことか、自分にできることでそれを
実践しようとさえした節がある。
十代後半の私に、安吾は一番大きな影響を与えた
文学者だったかもしれない。

そしてとにかく片っ端から彼の小説を読むうちに
行き着いたのが「桜の森の満開の下」だった。

鈴鹿の森のある山に住む山賊の男は
ものすごく美しい女を手に入れる。
その女は、ひどくわがままで、残酷で
「私は山では暮らせない」と、男とともに都へ行き
男に大勢の人を殺して首を取ってこさせる。

まるで人形で遊ぶかのように、人の首で首遊びを
する女。しかし男は、次第に故郷の山が恋しくなる。
山に帰るという男に、女は「もうお前と離れては
生きていけない」とついてくる。そして、男がもっとも
怖れる鈴鹿の森の満開の桜のところに来たとき
女は鬼の正体を現し…。

確かにグロテスクな場面もあるが、ホラーとか怪奇
とか、耽美とか、どういう表現も、今ひとつしっくりしない。
そのわけを私なりに考えてみると、確かに、美女の正体
が鬼であったり、女が遊び戯れる生首が、やがて腐り
果ててと、怪奇的な要素はいくつもあるが、それが
恐怖の本質ではない。

山賊の男が最も怖れるのは人っ子一人いない満開の
桜の森。それの何がそれほど怖いのか。
この物語は、男が求めるものと、女が欲するものの
違い、落差を巧みに描き出す。
その果てにあるものは、満開の桜の下にある冷たい
虚空、あるいは孤独。本当に怖ろしいのは、自分
自身の、人間の内なるもの。
それをこれほど美しい物語に昇華させてあることが
すごい衝撃だった。人生で十本の指に入るほどの
素晴らしい作品との出会いでもあった。

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真夜中のカーボーイ

「イージー・ライダー」「俺たちに明日はない」「真夜中の
カーボーイ」

その中でも一番好きだったのが「真夜中のカーボーイ」

1969年(昭44)アメリカ映画 監督 ジョン・シュレンジャー

カーボーイの出で立ちで、テキサスからニューヨークに
やってきたジョー(ジョン・ヴォイド)は、足の悪いペテン
師のラッツオ(ダスティン・ホフマン)に出会う。二人は
一攫千金で金持ちになってフロリダで暮すことを夢見る
が、現実はあまりにも厳しく、ジョーは男娼をしてわずか
の金を手に入れる。衰弱していくラッツオのために、その
金で二人はフロリダ行きのバスに乗るが、あと少しで
目的地に着くという所で、ラッツオは息絶える。

まぶしい太陽と新しい生活を夢見て、バスに乗った
ラッツオはバスの中でおしっこを漏らしてしまい、
ジョーはカーボーイの服をゴミ箱に捨て、二人は
新しい服に着替える。これからの生活を象徴するよ
うな色鮮やかなアロハシャツ。それを着て、最後まで
マイアミの浜辺を夢見ながら、死んでいくラッツオの
姿はあまりにも悲しい。

これも高村薫さんの「冷血」の中に、四人家族を殺し
た犯人のもう一人、戸田吉生という男が、20代の頃
に観た「パリ、テキサス」という映画について「侘しい
アメリカ、貧しいアメリカ、うつくしくないアメリカに魅入
られたのだと思います」という部分があったが
私が「侘しい、うつくしくないアメリカ」を見出したのが
まさにこの「真夜中のカーボーイ」だった。

日本の戦後も十分貧しかったのだが、それとは違う
アメリカンドリームの国ならではの、激しい格差による
侘しさ、悲しさが随所に滲む。どれほど望んでも、生き
たいと思う人生は手に入らない。それでも、フロリダの
太陽を夢見て、あと少しのところで力尽きるラッツオの
姿はどうしようもなく悲しくて、救いがないほど暗いが
それでも心が震えるくらい美しい。

こうした、1970年代のアメリカ映画の変化の背景には、
ベトナム戦争があった。映画は、それまでの明るくて
希望に満ちた世界とは違うものを描き始めた。
そしてこの作品は第42回のアカデミー賞作品賞
を受賞している。

親の影響から離れて、自由に自分の観たい映画を
物色できるようになった思春期の私にとって、この
70年代のアメリカ映画は、どんぴしゃだったわけだ。

「真夜中のカーボーイ」で、マッチョなイケメンの若者を
演じたジョン・ヴォイトは、つい最近もアメリカドラマ
「レイ・ドノヴァン」で健在ぶりを示し、なんとあの
アンジェリーナ・ジョリーのお父さんだと知って、本当に
驚いた。
ダスティン・ホフマン
992円
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アメリカン・ニュー・シネマの時代

1960年代後半から70年代にかけては、ヨーロッパではヌーベ
ル・ヴァーグ(新しい波)、アメリカではアメリカン・ニュー・シネ
マの時代を迎えて、それまでとはかなり傾向の違う映画が作
られるようになった。

これらの映画は、日本には若干遅れて入ってきたのだと思う。しかも
その頃はまだビデオも普及していない時代で、映画は最初の封切り
館とは別の映画館で繰り返し上映されていた。
高校生活に見切りをつけた私は、ひまさえあれば天神に出かけて映
画を観るようになった。今はソラリアになっている場所にスポーツセ
ンターがあって、その一角にセンターシネマがあった。

センターシネマのような二番館では、確か150円くらいで映画が観
られて、今と違って入れ替えもないから、気に入れば150円で2回
でも3回でも、その映画を見ることができた。学校をさぼっているから
当然友だちは誘えない。いつも一人だったがその頃には、ほとんどの
人は映画を一回しか観ないものだということが分かり始めたので、
気にいった映画を何回も観るには、一人のほうが好都合でもあった。

映画も本と同じで、最初はヌーベル・ヴァーグのゴダールとかトリュ
フォーとかはたまたベルイマンなどの、芸術的で難解な映画を観る
ことが格好いいと思い込んで、一生懸命見たが、これまたさっぱり
分からず、面白いともおもえなかった。

ヨーロッパ系は全滅だったが、アメリカン・ニュー・シネマは多くの
作品が、まさにツボ中のツボとも言えるものばかりで、十代の、
一番感受性の強い時期に、のめりこんだ世界観は、影響を受け
るという程度ではすまず、自分の人格そのものを形成するのに
よくも悪くも(悪いほうが多いが)大きく寄与した。

もともと家庭環境が、劣悪だったわけではないが、少し複雑だ
ったこともあってかなり小さい頃からマイナー思考だったものが、
がっつり補強されて、まさにこれぞマイナー思考、THEマイナー
思考とでも言うような人間ができつつあった。

「イージー・ライダー」「俺たちに明日はない」そして「真夜中の
カーボーイ」
十代後半の私の三種の神器とも言える映画がこれ。まあ何と
も分かりやすいキャラクターではある。自由を求めて、反社会
的な行為もいとわず、突っ走ったあげくに自滅する。
自分の、あるいは自分たちのおかれた現状に閉塞感を感じて、
何とかそこからドロップアウトしようとする若者たちの姿に、私は
ゲバ棒を振り回す青年たちよりも強い魅力を感じてしまったわけだ。

なぜゲバ棒ではだめなのか。
それは、社会は個人の力では変わらないからだ。私は今でもそ
う信じている。社会を変えることなんかできないけれど、自分の
生き方は変えられるのだ。若かかった私はそう思った。
けれど当時の私にできたのはせいぜい「俺たちは明日はない」
のボニー(フェイ・ダナウェイ)のファッションをまねて、タイ
ト・スカートをはきベレー帽をかぶることぐらいだった。

余談だが、十年くらい前に、平本アキラという人の「俺と悪魔の
ブルーズ」というマンガを読んでいたら、「俺たちに明日はない」
のボニーとクラウドが登場していて、とても嬉しかったのだが、
その後このマンガは打ち切り。さらに去年再開が決まりと二転三転。
何はともあれ続きが読めるのを楽しみにしている。

ウォーレン・ベイティ
909円
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平本 アキラ
719円
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足摺岬

父は明治生まれの医者だった。
二つの大戦と、日本人の価値観がひっくり返った時代
を経験した人だ。
私は父が復員してから50歳の時に生まれた一人娘で
父親と外出すると、人からよく「お孫さんですか」とたず
ねられた記憶がある。
そんな具合で、全ての意味で私の育った環境は、かなり異
質ではあった。

時代の空気というものがある。
中学から高校にかけて、全共闘の学生運動が起こり
三島由紀夫が割腹自殺をし、あさま山荘事件があった。
戦争からの復興が一段落して、平和で豊かな社会に向か
おうとする一方で、それに疑問を感じ、反発する人たち
が起こしたアクションで、社会がざわついていた、ちょうど
その頃が思春期だった。

中学まではお決まりの優等生コースだったが、高校に入
ると、ただ机に向かって勉強をすることに意味を感じなく
なった。だからといってゲバ棒を振り回せるわけもなく
当時の文学青年たちがもれなくハマる太宰治や坂口安
吾に心酔した。今だったら中二病と揶揄される典型的な
パターンだ。現実での無力さを、脳内ドロップアウトを
実現させることで、自分には何でもできるような気に
なっていた。

難解な本を読むのが格好いいのだと信じて、埴谷雄高とか
高橋和己、大江健三郎なんかを読み漁り、こっそり優越感
にひたってもいたが、実はさっぱり分からなかった。
そしてチッチとサリーの「小さな恋のものがたり」で盛り上がる
クラスメイトの中で、いちおう読んで話を合わせてはいたが
メンタル的には完全に浮いていて、学校生活にはなんの魅力も
感じなかった。

まさに乱読状態で、とにかく手当たり次第に読みまくった
学生時代の読書歴の中で、四十年近く経った今でも自分
の中にしっかりと残っている一冊は田宮虎彦の「足摺岬」

「足摺岬」は若者にありがちな自殺願望を投影させるには
うってつけで、高校時代はそれもあってハマったかもしれな
いが、その後生きていろいろなことがあるうちに、受け止め方
が大きく変わった。
社会の理不尽さに打ちのめされ、最底辺で生きることを強い
られる人々の、悲しみと苦しみと、どうしようもなく切ない美しさ。

貧乏のどん底で力尽きて自殺するために足摺岬にたどりついた
青年に、幕末維新の激動の時代に、地獄のような苦難を生きた
老いた遍路が言う。
「のう、おぬし、生きることは辛いものじゃが、生きておる方が
なんぼよいことか」
この場面、この言葉は、何か人生で困難なことがあるたびに
私の心の一番深いところで響き続けた。
田宮 虎彦
1188円
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サイコ

家にTVが来たのは、中学生になってからだった。
TVのない生活に慣れていたし
本やマンガはけっこう潤沢に読めたので
もうそれほど「待ちに待った」という感じでもなかったけど
それでもしばらくはテレビっ子になった。

「仮面の忍者赤影」とかリアルタイムで見れなかった
子ども向けのドラマも見たけど
毎週観ていたのはやはり「日曜洋画劇場」で
淀川長治さんがニギニギして
「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」を言っておられたのが
懐かしい。

その日曜洋画劇場のマイベストは
「サイコ」「太陽がいっぱい」「悪魔のような女」そして
「死刑台のエレベーター」あたりだろうか。
カウンセラーさんとかが聞いたら
かなり早い時期から性格に問題ありと診断されそうな
チョイスだが、面白いものは面白いのだから仕方がない。

「サイコ」は1960年のアメリカ映画。監督はアルフレッド・
ヒッチコック。

この映画のインパクトの強さは、なんといっても
あの有名なシャワー・シーンだから
実はシャワーシーンと、ノーマンの母親の遺体の記憶
くらいしか残ってなかったのだが、先日ケーブルで放送
されたので数十年ぶりにしっかり観ることができた。

妻のある男性と不倫関係にあるOLが大金を持ち逃げする
という映画の前半部分から、ヒロインにはどこか
後ろ暗さがつきまとい、罪の匂いがある。
そして、母親の世話をする繊細な感じの青年
ノーマンの趣味が、鳥の剥製を作ることであったりと
細かい場面で、不穏な雰囲気が積み重ねられていく。

その果てに起こるシャワールームでの殺人。
振りかざされるナイフの影と
お湯に混じって大量の血が流れるシーンは
モノクロならではの独特の怖さだ。

そういえばマイベストに上げた四作品のうち
「太陽がいっぱい」以外はモノクロのサスペンスだ。
日本のTVドラマでも「七人の刑事」とかは大好きだった。

最初に出会った映画の多くがモノクロだったためか
たくさん色があって注意が散漫になるのより
ひとつひとつの場面に集中できるので
ある意味サスペンスやスリラーには向いているようにも
思うが、単なるモノクロフェチなんだろうか。

「サイコ」は4まで続編が作られ
現在もこの映画の前章という位置づけで
「ベイツ・モーテル」というドラマが作られているのを見ても
その後のサイコ・サスペンス映画の草分けともなった
「サイコ」を愛している人は案外多いようだ。
アンソニー・パーキンス
906円
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プロフィール

田中偲

Author:田中偲
50年以上映画を見続けてきた、でもただのミーハーな映画好きの、備忘録的感想文

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