ツイン・ピークス

90年代は、仕事と子育てで忙しく
自分が観たい映画を観るどころではなかった。
当時まだレンタルビデオの時代で
子どもたちにせがまれて「ウルトラマン」シリーズや
ディズニー映画や「ドラえもん」なんかを
せっせと借りに行っていた。

ある時ビデオ屋さんに、特設のコーナーが
できていて、何気なく借りてきた「ツイン・ピークス」
1990年から91年にかけて放送されたドラマ。
製作総指揮はデヴィッド・リンチ&マーク・フロスト。

最初の話でどハマりして
来る日も来る日も、夜になると
あのオープニングが流れ
家族はさぞかしげんなりしたに違いない。

カナダの国境に近いツイン・ピークスという小さな町で
ローラ・パーマーという美しい女子高生が
ビニールに包まれた遺体で発見される。
これまた、すわ本格ミステリーかと思わせる導入部。
やってきたのは端正で、いかにも真面目そうな
FBIのクーパー捜査官(カイル・マクラクラン)

ところがこの捜査官、何かがおかしい。
ドーナツ好きは、まあいいとして
びんに石を投げて犯人を当てるとか
あり得ない言動が多い。
そのうち一見平和な田舎町に見えたこの町の
闇の部分、ドラッグとか売春とか
何やかやが明らかになっていき
いかにもそれがローラ殺しに結びつきそうに
見えて、実は…。

出てくる人、出てくる人、みんなどこか変と
いうあたりから、嫌な予感はしてたんだけど。
最後まで見れば、何か理にかなった答えが
出るはずと信じて最終回観た人は
テレビに向かってなんか投げつけたんじゃないかと
ちょっと心配になる終わり方ではあった。

アメリカのドラマとしては空前の大ブームが
起きて、大勢のフリークスを生んだのは、
見た人の感性次第でどんな見方でもできるという
その多面性によるものだろう。

この「ツイン・ピークス」
来年続編が作られるらしい。
いったんは降りると言っていた
デヴィッド・リンチの続投が決まるなど
相変わらずお騒がせではあるが
今度はどんな「変な」世界を見せてくれるのか
ものすごく楽しみでもあるのだ。


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砂の器

四年間の高校生活が終わるころには
いわゆる純文学と呼ばれるようなものには
興味を失っていて、さらさら読める推理小説を
読むことが多くなった。

まずは松本清張を手当たり次第に読んでいたので
「砂の器」も原作を先に読んだ。
意外性もあったし、当時としては結構最先端と思える
トリックもあったりで、密度の濃いミステリーだった。

これだけボリュームのある小説を映画にすると
原作を読んだ者には、どうしても物足りなさがある。
それでも映画を観にいったのは
当時二、三人しかいなかった友だちの一人が
森田健作さんの熱烈なファンだったので
彼女に誘われて、断りきれなかったから。

砂の器(1974) 監督 野村芳太郎

        出演 丹波哲郎、森田健作、加藤剛

でも映画は予想に反して
とても良くできていたと思う。
なぜかというと、映画は原作の基本設定を
踏まえながらも、これを見せたいという明確な
主張が感じられたからだ。

そう、あの十五分に及ぶ交響曲「宿命」のシーン。
音楽をバックに、丹波哲郎によって語られる
難病に苦しむ父親と幼い息子の北国の放浪と
二人のその後のエピソード。

松本清張は、社会の底辺で苦しむ弱者の視点で
小説を書くことも多かった作家さんだが
「砂の器」は、悲惨な生い立ちから殺人者にならざるを
得なかった加害者の視点で書かれたものではないので
例えば「霧の旗」のようには
そこが強調されてはいないと思う。

けれど映画は「宿命」のシーンのインパクトが凄い。
観終わった後残るのは、ほぼそのシーンだけと
言ってもいいくらいだ。
あれほどの大作の原作を、ここまで個性的な映画に
仕上げた手腕は凄いと思ったら
脚本の橋本忍さんは、黒澤明監督の「羅生門」や
「日本の一番長い日」の脚本を手がけた方ということで
「なるほど」と心の底から納得。

ところがこの手法は、その後サスペンスドラマの定番
として定着踏襲され、いまだにTVの2時間ドラマにいたるまで
大体この「砂の器」スタイルなのはいかがなものか。
もうかれこれ40年以上経ってるんですけど。

最近アメリカドラマをあれこれ見るようになったせいで
国産のドラマは、サスペンス、推理と銘打ってるのに
やたら親子とか兄弟とか夫婦とかの
お涙頂戴のサイドストーリーが絡むのがウザい。
劇中流れる「盛り上げ隊」的な音楽がうるさい。
そして何より展開が遅い、かったるい。
一方で斬新さを追求する路線は
あまりにもリアリティが無さすぎて
まさに帯に短し、たすきに長し状態。

確かに「砂の器」はある意味とてもよく出来た映画
ではあったが、そろそろその呪縛からは
解放されてもいいのでは。



エンゼル・ハート

「エンド・オブ・デイズ」が悪魔を描いた
映画だったので、悪魔つながりで
思い出したのが「エンゼル・ハート」(1987)
 
監督 アラン・パーカー
出演 ミッキー・ローク ロバート・デ・ニーロ

私立探偵のハリー・エンゼル(ミッキー・ローク)は
謎の紳士ルイス・サイファー(ロバート・デ・ニーロ)
から、10年前に失踪した歌手のジョニーを
探し出してほしいと依頼される。

「ナイン・ハーフ」で「ミッキー・ロークちょっといいかも」
と思ったので観たのだが、「エンゼル・ハート」は
実は素晴らしく完成度の高い映画だった。

少しくたびれた感じの私立探偵という設定は
ほぼ同じ頃にはまっていた、ローレンス・ブロックの
酔いどれ探偵マッド・スカダーを連想させるけれど
「エンゼル・ハート」はミステリーではない。
だからミステリーの整合性を求めると
納得のいかないところが多いだろうと思う。

なんて偉そうに書いてるけど
実は一度映画を観ただけでは意味がよく分からず
結局原作の「堕ちる天使」も読んだ。

ひと言で言うと<すべての筋書きを書いたのは悪魔>と
そういう話なのだろうと思う。
更に言えば<キリスト教の悪魔VSブードゥー>か。
そして悪魔圧勝、悪魔無敵という結末。

広義にはホラーのジャンルに入るのかな。
でも何かに襲われるというタイプのホラー映画ではなく
天井で回る換気扇とか、降りていくエレベーターとか
ひとつひとつのシーンが、現世とは異なる場所へ
観る者を誘うという、私の好きな雰囲気美人タイプ。

「堕ちる天使」が描いているのは、異端であり禁忌の世界。
だから原作には廃刊を求める運動まで起きたらしい。
映画は、その異端と禁忌を、素晴らしい映像美で具象化した。
本の後書きに「ハードボイルドオカルト」と書かれていて
笑ってしまったが、そう言えばあまり見かけないタイプの
小説であり映画だった。

ここではないアブナイ世界に跳びたい人、頭の中身丸ごと
ワープできる人には意外に面白い映画ではないかと思う。
原作のほうは新訳が出ていないので、結構読み辛いかも。
1900年代の翻訳物を読むのには我慢と根気が必要だと
実は翻訳物の苦手な私はいつも思う。

エンド・オブ・デイズ

思い出話ばかり書いていると
いつになったら現在に行き着くのか
全然先が見えないので
そろそろ最近観た映画やら
本のことも書きます。

DVDで「エンド・オブ・デイズ」を。
監督はピーター・ハイアムズ
主演はアーノルド・シュワルツネッガー

アクション映画には全然詳しくないのだが
この映画は何かで
「悪魔VSシュワちゃん」というのを見て。
「悪魔」というフレーズには弱いです。
そして未だ納得のいく悪魔に出会ったことが
ないので、ついつい期待してしまいます。

シュワちゃんが、合衆国大統領の命令で
悪魔と闘う話かと思ったら、かなり違ってました。

生まれた時から悪魔の花嫁になることを
運命づけられた少女クリスティーン。
20世紀が終わるミレニアムの瞬間に
悪魔が彼女と交われば、世界は悪魔の支配下に。

それを阻止しようとするバチカンの修道士たちや
悪魔の復活を願う崇拝者の集団やが入り乱れて
アクションなのか、オカルトなのか、ホラーなのか
よく分からない不思議な映画ではありました。
映画の評判がすごく悪いのは
きっとシュワちゃんの豪快アクションを期待して
観にいったシュワちゃんファンの願いを
あまりにも裏切る内容だったからかも。

私としては、この意外な取り合わせと
悪魔を相手の実弾戦というのが、結構面白かったけど。
聖水を振って、十字架をかざして、というのからしたら
隔世の感がある。
しかもシュワちゃんなら、勝てそうな気がしてくる。
でもまあ、結末については……不問に伏します。
もしかして核とか使ったら
悪魔でも倒せたりするんだろうかとか
物騒な空想をしてみたり。

そして悪魔の花嫁候補にされてしまった少女
クリスティーンを演じたロビン・タニーが
「メンタリスト」のリズボン捜査官だったことに
一番びっくりしました。


プロフィール

田中偲

Author:田中偲
50年以上映画を見続けてきた、でもただのミーハーな映画好きの、備忘録的感想文

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