「ハーモニー」(映画) 

「ハーモニー」を観てきた。
映画の「屍者の帝国」では
原作の一部が改変されていたので
今回はどうなのかなと、正直ドキドキしていた。

が、今回の「ハーモニー」は
全てにおいて、ほぼ原作どおり。
原作では、過去のできごとも、現在起きている
事柄も、そのほとんどが
キャラクター同士の会話の中で語られる。
それを忠実に映像化しているので
原作の世界観を理解するのに必要な要素は
あらかた盛り込まれていた。
これにはちょっとびっくりした。

過激な事件の描写はほんの一部で
それ以外は本当に会話のみで進行していくので
全体としてはとても淡々としている。
映画版の「屍者の帝国」の
特に後半部分のような、SFっぽい
エンターテイメントな展開を期待した人は
ちょっとがっかりしたかもしれない。

映像は、「屍者の帝国」に比べたら
少々あっさりし過ぎだが、これは予算の問題
なんかもあるだろうから仕方ないのかな。
ただ、既出だけど、拡張現実(オーグ)での会議の
シーンは、素人が見てもチープな感じがして残念。

SF小説の世界というのは
伊藤計劃さんのように、マニアックな人は
めちゃくちゃマニアックなのだが
ど素人にとっては結構敷居が高い。

伊藤さんが何回も読んだとブログに書かれていた
「ニューロマンサー」を読んでみたが
もともと翻訳物が苦手な私はかなり苦戦した。
あれからしたら、伊藤さんの作品はそれほど難解ではない。

だから映画版の「ハーモニー」を観て
原作を読んでみたいと思った人は
きっと読了することができるような気がする。

小説も映画も、そこに何が描かれているかは
とても数行で要約できるようなものではなく
作品自体にも、ETMLという架空の
マークアップ言語を用いての
仕掛けがほどこされているなど
この作品の奥行きはとても深い。

できることなら、自分の眼で
そして自身の感性で伊藤計劃の世界に
触れてほしい、そういう意図を感じさせる映画だった。

そして私は、映画を観ていて
「これってもしかして」と思ったことがあるのだが
それについては小説の「ハーモニー」について書く時に
書こうかなと思っています。


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屍鬼

高村薫さんの小説もそうだが
読んだ後ぐったりなるくらい重量感のある
小説が好きだ。
これもその中の一つ。

小野不由美さんの「屍鬼」
ハードカバーで、上下巻あわせて1000ページ超え。
数えたことはないけど
登場人物は150人に及ぶらしい。

古くは卒塔婆を作っていたことから
外場と名づけられた人口1300人の
山あいの小さな集落。

悪霊を祓う虫送りの夜の夜中に
村に一台の引っ越しトラックがやってくる。
そのトラックは、村へは入ってこず、引き返した
かに見えたのだが…。

西の斜面に建てられた謎の洋館。
やがて村人たちは原因の分からない病で
一人また一人と死んでいく。
これは「起き上がり」と呼ばれる吸血鬼のお話。

村人たちは、小さな不満や軋轢を抱えながらも
ごくごく平凡に暮らしている。
そういう人たちが容赦もなく屍鬼の餌食になる。
村でただ一軒の病院の医師敏夫は
やがて本当の原因をつきとめ、村人たちとともに
屍鬼の首領沙子(すなこ)と対決するのだが
敏夫の幼馴染で、僧侶で小説家でもある
静信はそれを拒む道を選択する。

屍鬼と人間。捕食者と被食者。
共存できない二つの種。
沙子は、この村に屍鬼の楽園を作ろうとした。
それは不可能なことなのに。

これはマイノリティの物語なのだと思う。
「圧倒的な少数であり、例外であり、世界の外に
ある」「神の論理で調和した世界に立ち寄ることが
許されない」社会や秩序から弧絶した生。
彼らが勝利する可能性がないことは
初めから分かっている。

しかしたとえ圧倒的多数の人間や
彼らが信奉する価値観と対峙して
無残に敗北することになるとしても
それでもマイノリティとして生きることの意味を
ぎりぎりのラインまで表現していると思う。

一方屍鬼と対立する人間側は、というと
それはそれで、まあ山ほど色々あるのだけれど
それがあるからこそ
屍鬼という存在が魅力的に思え
屍鬼の側に感情移入することができる。
ホラー度は低いけど、ある意味哲学的。

たくさんの登場人物の中で
イチ押しのキャラは人狼の辰巳です。
沙子が夢見た屍鬼の楽園なんて
できるはずがないと分かっているのに
最後の最後まで、沙子に仕え、守ろうとする。
それは、沙子が自分の宿命に悩み
逆らおうとする生き様が、純粋で歪みが
ないから、綺麗だからだと言う。
静信も、辰巳と同様
自ら屍鬼になって沙子と生きる選択をするんだけど
静信は、性格が屈折しすぎて
ちょっとうっとうしい。

「全てのものは滅びる。意味なんてものは
飛散して消滅する」とうそぶく辰巳のほうが
潔くて好きです。

漫画にもアニメにもなっているようですが
そちらは未見です。


もののけ姫

子育てをしていた頃、宮崎駿さんの映画は
「ナウシカ」から「千と千尋」までは
ほぼ欠かさずに観ていた。

個人的なキャラクター賞は「千と千尋」の
カオナシ。暗がりに、じと~っと佇んでいて
ぽっと顔を赤らめたりするのがかわいい~!
けれどEQ能力が低いので、彼の想いは
通じません。切ないです。暴れたくなる気持ち
分かります。


でも映画全体として観ると
一番好きなのは「もののけ姫」だった。
これは絶対に映画館で観たいと思った一本。

時は室町時代。北の王家の末裔アシタカは
タタリ神を殺したために、死の呪いを受ける。
その呪縛を解くためにアシタカは、シシ神の
棲む森をめざし、西に向かう。
大きなタタラ場を率いるエボシ御前は、民衆
の自由と暮らしを守るために、神々の領域
を犯すことも辞さない。一方、犬神のモロに
育てられた少女サン(もののけ姫)は、そんな
人間たちを激しく憎んでいる。

自然と人間とか、神々と人間、あるいは善とか
悪とかいった単純な対立や概念ではない。
それら全てをひっくるめて「人間とは一体何者
なのか」を問おうとしたのだと思う。
けれどその答えは映画の中にはない。
というか、無理にシンプルな答えを出さなくても
映画を観たひとりひとりが、何やかや
自由に考えればいいんじゃないか。
映画ってそういうものなんだろうと思う。

私は特定の宗教を信じたことはないけれど
人間の力を超える神的なものや、力の存在を
信じたり畏れたりする気持ちはあったほうがいいと
思っている。そしてそれは西洋やイスラムの神の
ようなひと形ではなく、自然とか、人間以外の生き物
であるほうが好きだ。(八百万の神様を信じる
日本人のDNAなんでしょうね)


だから、犬神や猪神、実体がよくわからないけど
シシ神やタタリ神にいたるまで「もののけ姫」に
登場する神様たちはすごく気に入った。

神様や仏様のいる、天国とか極楽ではなく
悪魔や閻魔さまのいる地獄でもなく
人間が生きるこの現実の世界の傍らに
不可侵の異界の存在と
決して超えてはいけない一線を信じること。
それは、法や教育が効力を失い
人間が必要以上に万能感を持ち
現実と非現実の境界が、日々あいまいになっている
今の社会の中で、もしかしたら
人間を人間たらしめる最後の手段なのではないかと
かなりうろ覚えな「もののけ姫」のシーンを
たぐりながら、考えてみたりしました。
ぶっちゃければ、幽霊も妖怪も、カミサマだって
あなたの隣にいるんだよ
だから悪いことしちゃダメよ
ってだけのことなんですけど。

でも、これって子どものためのアニメ映画じゃないよな
と感じて以来「アニメ=子どものもの」という
認識をかなぐり捨てて、アニメをじゃんじゃん観るように
なったという、おまけつきの映画でもあります。


プロフィール

田中偲

Author:田中偲
50年以上映画を見続けてきた、でもただのミーハーな映画好きの、備忘録的感想文

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