猿の惑星 新世紀(ライジング)

おととし映画館で観た映画で
一番面白かったのが「猿の惑星 新世紀」だ。
予告映像で、馬に乗った猿がずらりと並んだ
シーンを見て、ビビッときて劇場へ。
「新世紀」の前日譚の「創世記(ジェネシス)」は
映画を観に行く直前にDVDで観た。

「猿の惑星」の第一作(1968)が封切られた頃は
反社会的で破滅的なアメリカン・ニュー・シネマの
「俺たちに明日はない」とか「真夜中のカーボーイ」
なんかにかぶれ始めた頃で、SF映画なんかには
ほとんど興味がなかった。

だから「猿の惑星」も、「スター・ウォーズ」も
一作目だけは、観ることは観たのだが
ものすごく印象に残る映画にはならなかったのだ。
けれど人間変われば変わるもので
伊藤計劃さんの小説にハマって以来
SF映画を面白く観ることができるようになった。

というわけで「猿の惑星 新世紀」
「もうシーザー最高、シーザー素敵
ちょっと毛深いけどシーザー男前」
半年間寝ても覚めても「シーザー、シーザー」と
連呼しておりました。

今回の「猿の惑星」シリーズのテーマもやはり
人種差別や、そこから起きる紛争、あるいは戦争だ
ということは、たくさんの、優れたレビュアーさんが
書かれていて、今さら書き加えるようなことはないのですが
これまでに作られた「猿の惑星」シリーズとの
大きな違いで、私が「これ、いい!」と感じた点。
それは「彼らは人間になりたいわけではない」というところ。

以前の「猿の惑星」シリーズでは、猿が言葉をしゃべる
だけではなくて、人間とまったく同じに服を着て
人間と同じような社会を作っていたのが
今作では、動物としての本態を維持しながら
人間と互角に対峙する。
人間こそが最高の、最良の存在という視点じゃない。

「創世記(ジェネシス)」での、子ども時代のシーザーは
人間の子どもとまったく同じに
可愛い子ども部屋があって、服も着ていた。
けれど育ての親のウィルと訣別してからのシーザーは
自分がエイプであることに、大きな誇りを持っている。

言葉を使うとか、協力しあって行動するとか
人間の良いところ、優れたところは取り込みながら
「銃はだめだ」と、自分たちに不必要で
害悪をもたらすものは、どれほど力があるものでも
きっぱりと拒絶する。

大切なものはHOME(家)FAMILY(家族)そしてFRIEND(友だち)

相変わらず核を振りかざして、際限のない
パワーゲームを繰り広げてる人間なんかより
お猿さんたちのほうが
何が一番大事なのかを分かってて
よっぽど賢くて高潔だよ。

「もう総理大臣はシーザーでいいよ。
シーザーで決まり」と、少し頭が冷えた今でも思っています。
結局「創世記」も「新世紀」もDVD買いました。





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江利子と絶対

「ソロモンの偽証」の柏木卓也からの
どうしようもない人つながりで
先日芥川賞を受賞された本谷有希子さんの
「江利子と絶対」

他人とうまくコミュニケーションを取ることが
できない江利子は、高校時代にゴミ袋をかぶって
学校の屋上から飛び降りたあげく引きこもりに。

彼女に手を焼いた両親は、都会で働く姉に
江利子を預けることにした。ある日江利子は
テレビのニュースで、大勢の死傷者が出た
電車の事故を見て言った。
「エリ、これから前向きに生きてくから」

けれど彼女の前向きとは、虐待されていた犬を
拾ってきて「絶対」と名づけ、せっせとホウ酸入り
のおにぎりを食べさせたり、電車に乗り合わせた
ヤンキー風のカップルと大立ち回りをしたり。

江利子の言い草や行動原理は、わがままで
自己中で、一般人には理解不能な領域。
日々真面目に努力して生きてる人が
聞いたら、きっとブチ切れるか、完全スルーか
絶対に真剣に取りあってはくれないような代物だ。

「引きこもってるのにポジティブ。いいとか悪いとか
じゃなくて、なんか、こう、新しいでしょう。いじけてない
ところが人生を大事にしてる感じでしょう?」
江利子の理屈はめちゃくちゃだけど、妙にピュアなのだ。

こういう感覚、つまり自分が生きたいように
生きたいという願い(それが可能かという話は
置いといて)を失くしてしまっている自分って
本当は、なにひとつ実体がない世間とか社会の思惑に
自分をはめこんで生きてるだけなんじゃないかと
ふと思ってしまう。

現代の、特に若者の間に漂うどうしようもない閉塞感
を描いたものは、小説にも映画にもアニメにも
嫌になるくらいたくさんあるけど、その閉塞感を
ある意味、反則技で突き破ったことが、この小説の
魅力なのだと思う。「生垣の女」と「暗狩」は
もっと、もっと突き抜けたものを、と意識されたのか
展開は奇抜だけど、登場人物の心理、感情の面
では「江利子と絶対」よりはやや定番の観が。

けれど、できれば、芥川賞は、この最初の
短編集でこそ取ってほしかったと思える作品集です。

ソロモンの偽証(前篇・後編)

「模倣犯」以降、宮部みゆきさんから遠ざかっていたので
久しぶりに読もうかなと思ったのが「ソロモンの偽証」

が…が…が…、単行本で3冊、文庫本で6冊…に
めげた。安易とは思ったが、映画でダイジェストすることに。
タイムリーにも1月と2月にケーブルで放送された。

ソロモンの偽証「前篇」「後編」

監督 成島 出
出演 藤野涼子、板垣瑞生 他

1990年。大雪が降ったクリスマスの朝。
中学校の校庭で、雪に埋もれた柏木卓也という生徒の
遺体が発見された。最初は自殺として処理されたが
やがて学校や、発見者である藤野涼子にあてた
告発表が届く。「卓也は、大出という不良の生徒たち
に殺された」と。卓也の死は自殺なのか、他殺なのか。
告発状を書いたのは誰なのか。生徒や父兄や、教師たち
の間に広がっていく波紋。涼子たちは、卓也の死の
真相を解明するために、学校内裁判を開く決意をする。

宮部さんの作品は、小説も映画も
ぐんぐん引き込まれていく面白さがある。
「ソロモンの偽証」も例外ではない。
だから、前篇も後編も、ほとんど長さを意識せず見れた。
まあ、私のように、多少映画ズレしている人間は
細かいところでは「ん?」と思うところがないわけじゃ
ないが、原作のボリュームを考えたら
かなりよく出来ているのではないかと思う。

設定は20年以上前になっているが
今の子どもたちにも起きているイジメの問題などが
うまく織り込まれている。
最近の子どもたちは、こんな長い小説なんか
たぶん読まないだろうから
この映画は、ぜひ中高生と、その親御さんに観てほしい。

多少ステレオタイプで、出来すぎな部分はあるけど
親子ともに、考えること、話すことがたくさんある映画だと思う。
と高評価ではありつつ、個人的に一番不満なのは
柏木卓也という生徒の描き方。

映画だけ観ると、本当にどうしようもない奴感がハンパないけど
どうも原作で描かれた部分が
彼の場合、大幅に省略されているような気がする。

それともう一つは、卓也という生徒が
かつて「理由」に登場した中学生小糸孝弘とかぶるのだ。
親の、身勝手な考えや行動に振り回され続け
「親と暮らすほうがよっぽど大変だった」と言い
赤の他人に、同居させてほしいと頼む少年。
けれど彼は物語の最後に、もし他人と暮らしたら
自分もその人たちを殺すんだろうかとつぶやくのだ。

自分を取り巻く世界の全てが欺瞞に思え
何も信じるものがなく、何も愛するものがない
孤独と絶望。それが卓也と小糸孝弘に共通している。
「あんな、どうしようもない、面倒くさい奴は
ほっとけ。自業自得さ」
というのが、映画を観た多くの人の感想なのだろうか。

他の生徒たちが、家庭や学校に様々な問題を抱えつつも
未来にわずかな光を感じるラストだったのに比べて
雪の降る深夜の無人の屋上に、佇み続けた卓也の
あまりにも救いのない結末に、何ともいえない切なさを
感じてしまい、どうにも納得がいかない。
「いや、確かにイヤな奴なんだけど…でもね」って感じ。
結局原作読んでみようかなという気が
ムラムラと起こっている私。これって病気だよな。






プロフィール

田中偲

Author:田中偲
50年以上映画を見続けてきた、でもただのミーハーな映画好きの、備忘録的感想文

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