嵐が丘

最初に、児童向けの全集かなにかで「嵐が丘」を
読んだ時は、孤児で、身分が低いヒースクリフと
お嬢様であるキャサリンとの、結ばれない恋と
いうくらいにしか理解できなかった。

それでも高校生になって文庫版で読み直す気に
なったのは、ヒースが生い茂る原野とか、雪や風
の吹きすさぶ気候とか、その原野に建つ荒涼と
した館、そして何よりその原野をさまよう男女の
亡霊というイメージが大好きだったからだ。

「嵐が丘」のように、ボリュームのある物語という
のは色んな読み方ができる。
ヒースクリフは冷酷で無慈悲な男で、キャサリンと
結婚できず、彼女が死んでしまったことへの恨み
を晴らすために、すべての人間に復讐し、彼らを
悲劇に陥れたというような言われ方もするが、
果たしてそうなのか。

私は、ちょうど読んだのが思春期真っ盛りだった
せいもあるのだろうが、「嵐が丘」は、世の中の
みんなが当たり前だと思っているもの、正しいと
信じているものを破壊する。そういう意図を持って
書かれた物語だと思った。そこには、もちろん
身分制度のような分かりやすいものもあるが
それだけではない。作者は、社会や人間の中にある
虚飾や欺瞞を徹底的に軽蔑し、嫌悪する。

旧家の跡取りというだけで、弱さと愚かさの象徴の
ようなヒンドリーや、良心と善意の人であるかに
見えるエドガーや、イザベラの、ヒースクリフへの愛
などは、すべて無意味で無価値なもの、破壊すべき
ものだった。そして、牧師の娘に生まれたエミリー
は「嵐が丘」の中で、キリスト教さえ否定してみせる。

彼女の生きた時代を想像すれば、これは本当に
すごいことなのではないかと思う。
エミリーは、何にしろ偽物が嫌いだったのだ。
本当のものはただひとつ、キャサリンとヒースク
リフの生き様の中に、彼らの愛の中にだけある。
キャサリンとの、何物にも替え難い、誰にも
近寄ることも触れることもできない強い絆は、結局
最後まで切れることはなかった。

けれど実は「嵐が丘」は、本当に恋愛小説なのかどうか
さえよく分からない。最後に、キャサリンの娘と、ヒ
ンドリーの息子が穏やかに暮らしていけそうな未来、
それは、本当はキャサリンとヒースクリフが生きたか
った時間。それが見えた時にヒースクリフの孤独な
闘いは終わった。彼は向こう側の世界、キャサリンの
許へ旅立つ。そして、二人して、永遠にヒースの原野
をさまようのだ。まだ男性名でしか小説を発表できな
かったような時代と社会の中で、これは、エミリーにとっ
てはぎりぎり可能な、けれど快心のハッピー・エンド
だったのではないかと思う。


E・ブロンテ
720円
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田中偲

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50年以上映画を見続けてきた、でもただのミーハーな映画好きの、備忘録的感想文

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