チャイルド44 森に消えた子供たち

連続殺人事件物ということで、シリアルキラー好きの私
としてはずっと観たいと思っていた一本。

原作はトム・ロブ・スミス
監督 ダニエル・エスピノーサ
出演 トム・ハーディ ノオミ・ラパス
製作にリドリー・スコットの名前があるアメリカ映画

舞台は1953年スターリン政権下のソ連。
ウクライナ飢饉を生き延びたレオ(トム・ハーディ)は
戦争で功績をあげ、MGB(ソ連国家保安省)の捜査官
になり、美しいライーサ(ノオミ・ラパス)と結婚する。
レオの親友アレクセイの息子の死体が、森で見つかり
アレクセイは、息子は殺されたと主張するが…

すわ犯人捜しかと色めき立ったが、どうもそういう展開
ではないらしい。
なぜなら「犯罪は資本主義の病。理想国家のソ連で連続
殺人はあり得ない」というのが、スターリンの主張であり
社会通念だから。「え”-っ!」という感じだが、そういう
わけで、犯人捜しまでにすごい紆余曲折があった。

ライーサにスパイの容疑がかかり、妻の告発を拒否した
レオは、エリート官僚の座を追われ、地方の下級官吏に
左遷された。その赴任先のヴォルスクで、少年の死体が
発見されて、レオは事件の真相を追求する決意をする。

社会の中心の軸がずれると、私たちが常識と信じている
すべてのことがおかしくなる。さらにそのおかしい状態が
普通になると、かつて普通と思われていたことが間違い
になる。保身のための裏切りや密告が当たり前という
社会は、男女の愛情や信頼の形をも変質させる。

この映画のミステリー性というか、何とも気持ちの悪い
感じは、連続殺人やその犯人像ではなく、殺人をなか
ったものとして容認するような社会のありようと、その
社会に翻弄された人間たちにあった。もしもレオが事件
の解明に動かなかったら、44人もの無残に殺された
子供たちは、すべて事故か冤罪で片づけられていた
わけで、それはそれでとてつもなく怖い。

しかしよくまあ次から次へと、理不尽な苦労を強いられる
レオやライーサに同情しながら観てしまうので、犯人が
わかっても「あっ、そう」という気分になってしまう、ある
意味珍しいミステリーではありました。
映画を作った側も犯人捜しにはさほど思い入れがなさそう
なんだけど、そのあたりいったい原作はどうなってるん
だろうとちょっと興味があります。


死霊館 エンフィールド事件

たいへん遅くなりましたが
今年もよろしくお願いします!

大晦日に、一年の集大成(何の?)ということで
ずっと観たかった「死霊館エンフィールド事件」を観た。

監督は「ソウ」シリーズのジェームズ・ワン
出演 ヴェラ・ファーミガ パトリック・ウィルソン

ロンドンのエンフィールドで起きたポルターガイスト現象を
題材にしている。「死霊館」と同様に、アメリカ人の超常現象
研究家エド&ロレイン・ウォーレン夫妻の体験を描いた実話物。

女手一つで四人の子どもたちを育てているペギー・ホジソンだが
次女のジャネットに異変が起こる。夢遊病のように、起き出して
家の中をさまよい、奇妙な現象を見、老人の声を聞く。
やがて夜中に家具が激しく動くポルターガイストが起こり
ペギーや子どもたち、隣人や警官にもなす術がない。
教会から依頼を受けて、エド(パトリック・ウィルソン)とロレイン
(ヴェラ・ファーミガ)のウォーレン夫妻が、怪異の正体を究明
すべく、ロンドンに向かう。

現代は、科学で説明のできないことは、全て無意味なもの
ありえないこととされている。けれど三が日に大挙して初詣に
出かける人たちは、やっぱり心のどこかで神様を信じている
のだろう。私たちに良いことをしてくれるものがあるんだったら
当然害になる、災厄をもたらすものだって存在するはずだ。
だからこのタイプのホラー映画は、私たちがふだん無いもの
として見ないようにしている世界を、かいまみせてくれる。

透視能力のあるロレインが透視を試みるが、霊の存在は確認
できない。結局ジャネットの自作自演なのではないかという結論
になり、夫妻はホジソン家をあとにするが、帰路ロレインが全ての
真相に気づく。

そして夫妻の前に姿を現す、修道女の姿をしたラスボス。
それはかつて別の事件でも、ロレインの透視に現れた
悪霊で、その後エドがその悪霊に殺される夢も見ていた。
あわや悪夢が現実にというところで、間一髪夫妻は悪霊を
追い払い、約束通りジャネットと彼女の家族を救う。

ロレインが見た夢は、いずれ彼らが対決することになる悪霊の
予知夢だったわけだけど、その話を聞いてエドが描いた悪霊の
絵が、そっくり過ぎて怖い。しかもその絵が、ドーンと壁に飾って
あるのが更に怖い。「実はここから出てきたんじゃないの?」と
思ってしまった。

この映画は、生きるか死ぬかみたいな山場は最後にちょっと
あるだけで、そういう怖さではなくて、日常がどんどん気味の
悪い感じになっていく、そのぞわぞわとした雰囲気がいい。
そしてもうひとつ、実話の持つリアリティをそこなわないために
悪霊は見える人にだけ見えるという設定がよく出来ている。
悪霊とか霊を本当に信じるか信じないかではなくて、映画を
観る時は、いると思ってその世界に向き合って怖がるほうが
絶対楽しいのだ。

あと小道具がいいですね。「死霊館」の、のぞくと霊が見える
オルゴールとか、今回の「へそ曲がり男」の姿が浮かぶ幻灯機
とか、主役に昇格したアナベルの人形とか、夢に出てきそうな
素敵なアンティークの小物がいっぱいです。

「ソウ」の時は知らなかったけれど、今回ジェームズ・ワン
監督が尊敬しているのが、デヴィッド・リンチと「サスペリア」
などを撮ったダリオ・アルジェントだということを知って
自分が、この「死霊館」シリーズの漂わせている雰囲気と
どうして相性がいいのか、ちょっとわかったような気がします。



洋画オールタイムマイベスト

年末で、何かとあわただしい今日この頃
さすがに、一回分のブログを書く時間がなさそうなので
ここいらで「洋画オールタイムマイベスト」をチョイスしてみた。

1 地獄の黙示録(1979)
2 ブレードランナー(1982)
3 エクソシスト(1973)
4 王女メディア(1970)
5 愛の嵐(1973)
6 第九地区(2009)
7 ファイト・クラブ(1999)
8 ルードヴィヒ 神々の黄昏(1972)
9 イミテーション・ゲーム(2014)
10 エンゼルハート(1987)

マイベストに入れてもいい映画は他に
「真夜中のカーボーイ」(1969)
「サイコ」(1960)「シザー・ハンズ」(1970)
「ブルー・ベルベット」(1986)「戦慄の絆」
(1988)など。ベタですが。

「地獄の黙示録」だけは、ぶっちぎりの1位。
私にとっては「これぞ映画、THE映画」という
感じです。
1位から5位までは、おそらくこれからも不動。
6位以下は、圏外も含めてほぼ同率。

「これっ!」と思う許容範囲がかなり狭いので
ど真ん中という映画にはなかなか出会えない。
ちょっとキャパを広がれば「猿の惑星新世紀」とか
「チャッピー」とか「悪の法則」とかいい線いってる映画は
最近の映画でも結構あるのだけれど。

ゲームクリエーターの小島秀夫監督が、インタビューの
中で「映画のベスト10とか訊かれると、どうしても十代
の頃の映画になる。最近良いのを観ていても、そんなに
心がピュアじゃないから、人生の中での順位はだいぶ
後ろに回してしまう」と語られているのを読んで、心から
「なるほど、そういうことか」と合点がいきました。

十代から二十代にかけて出会った映画に強烈な
インパクトを受けて、その後は「あんな感じの映画」を
ずっと探し続けていくのでしょう。
来年も面白い映画に出会えますように!
一年間ありがとうございました!よいお年を(*^_^*)

岸辺の旅

今年観た邦画の中で
一番強く印象に残ったのが「岸辺の旅」
湯本香樹実の同名小説の映画化で、原作は未見。

監督 黒沢清
出演 深津絵里 浅野忠信 他

三年間失踪していた夫の優介(浅野忠信)が、突然瑞希(深津絵里)
の暮らす家に戻ってくる。そして瑞希に、自分は三年前に死んだと告げ
死後に旅した美しい場所を瑞希にも見せたいと、旅に誘う。

優介が働いていたという新聞販売店
夫婦が営む、餃子がおいしい中華料理屋
そして黄泉平坂(霊界)への入り口があるという山奥の村

瑞希は、明らかに死者である優介と、当たり前のようにバスや
汽車に乗って旅をし、行く先々で出会った人たちと話し
時には旅先で働いたりもするのだが、彼らの中にもまた
死者が混じっている。

何事も理詰めでなければ納得できない人が観たら
多分すべてが理屈にあってなくて、おかしいと思うような映画。
最初のエピソードの、新聞販売店の店主も
中華料理屋の奥さんの妹も、実はずっと前に死んでいる。

一見それぞれが、現世に思いを残して死んだから
幽霊的なものになって、姿を現したようにも見えるが
これは、そういうありきたりな話ではない。
話が進むうちに、次第に瑞希と優介が旅する場所自体
が今はもう存在しないんじゃないかと思えてくる。
けれども、登場するすべての人間が死者というわけでもない。

何かの自然災害で、あとかたもなく消えてしまった町
どんどん人がいなくなって、廃村になった村
そんな場所に、生者と死者が分け隔てなく暮らす風景を
この映画は再現して見せたのではないか。

「回路」の時は、まだ死者と生者の世界には境界があって
回路がつながったことで、忌むべき存在としての死者たちが
こちらの世界を侵食していった。
けれど「岸辺の旅」では、そうした全ての境界がなくなった。
その最も象徴的な場面が、瑞希が優介とセックスするシーン。
これが現実なのか、幻想なのか問うことに意味はない。
受け入れられる人は受け入れられる、そういうものなのだから。

「何もないということは決して無意味ではない。無こそすべての基本
なんだよ」「宇宙はこれで終わるんじゃない。ここから始まるんです」
これは、彼を「優介先生」と慕う村人たちを前に、優介が語った言葉。

小説家にしろ、映画やドラマを作る人たちにしろ、3.11の震災と
津波と原発事故による、ものすごい数の人々の死は、想像を超える
衝撃だったのだと思う。私たちは、今生きていることと同様に、必ず
訪れる死というものに、真剣に向き合わなければならない。改めて
そういうふうに感じた人は、おそらくたくさんいるのではないか。
そこで、既成の宗教とか慣習の縛りをはずれて、死と真っ向から
向き合う。これまでにあった生と死の境界を取り払ったところに
見えてくる風景を描く。これはそういう、かなりすごい映画なんじゃ
ないかと私は感じたのです。


戦慄の絆

少し前に録画した「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を
大変な苦労をして観たせいでどっと疲れて
しばらく放置していた「戦慄の絆」(1988)

監督 デヴィッド・クローネンバーグ
出演 ジェレミー・アイアンズ(一人二役) 
    ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド

クローネンバーグ監督の「ザ・フライ」は割と好きだったけど
その後に観た「裸のランチ」が全く歯が立たなかったので
長らく敬遠していた監督さんの一人。

一卵性双生児のエリオットとビバリーは、女性の不妊症治療
を専門とする医師。社交的で野心家の兄のエリオット。内気で
研究者肌のビバリー。一見対照的に見える二人だが
特殊な子宮の持ち主で、妊娠を望む女優のクレアが、彼らの
患者になり、二人と関係を持ったことで、大きな悲劇が訪れる。

何やら怪しげな解剖図のようなものが出てくるオープニング・
クレジットの段階から、すでに重苦しく不穏な空気が漂う。
その不穏さは、話が進むにつれてどんどん深まっていく。

だまされて兄弟と関係を持ったことを知ったクレアは激怒し
ビバリーは自分が彼女を愛していることに気づく。
弟と一心同体だと思っていた兄。自立を望みながらも、兄と
クレアの間で揺れ動く弟。
それぞれの人生を生きるべきと頭では理解しながらも、執着
を深め、薬物に惑溺していく二人。

そして極め付けが、奇妙な形の手術道具と、真っ赤な手術着に
深紅の手術台。ここまできたら、もはやこれは現実なのか異空間
なのかさえ区別がつかなくなってくる。
最後のとどめが、二人して薬物に溺れ、パンツにジャケットという
同じスタイルで部屋を横切るシーン。そこまではかろうじて
兄弟の区別がついた二人が、完全に一体化した衝撃。

どうしようもなくおぞましいけれども、何ともいえず美しい。
映像が非日常な美しさにあふれていて、音楽もいい。
ずっと弟を守りつつも支配しているように見えたエリオットが
幼い子どものようにだだをこね、二人でケーキを食べる。
「誕生日おめでとう。兄さん」ビバリーが優しく微笑む。

いやあ、切なかったです。そして、ラストシーンは
まるで宗教画のようでした。
二人を演じ分けたアイアンズ様も素晴らしかったです。
じゅっぱひとからげにホラーと呼ばれる映画の中でも
一番好きなあたりですが、めったに出会えません。
「鬱な映画」だと間違いなく上位に入る代物ですが
私には、思いもよらない掘り出し物でした。

プロフィール

田中偲

Author:田中偲
50年以上映画を見続けてきた、でもただのミーハーな映画好きの、備忘録的感想文

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