マークスの山

映画と同様、小説も恋愛物は数えるほどしか
読んでないが、これはその中の一冊。

高村薫さんの「マークスの山」

「これ、恋愛物か?」と突っ込まれそうだが
私としては恋愛オールマイベストの上位にある。

南アルプスの夜叉神峠で、排ガス心中をした夫婦の
子どもが保護される。その少年水沢裕之は、事故の
後遺症で精神に障害をきたし、病院や刑務所への
出入りを繰り返した後、連続殺人を起こす。
そして、犯人を追うのは、お馴染みの合田雄一郎。

裕之の意識は、三年周期で、明るい山と暗い山
にあり、明るい山の時期が来ると別人格になる自分を
彼は「マークス」と名付けた。

犯罪小説だが、捜査の過程と、水沢(マークス)の
エピソードが交互に語られるので、犯人は分かる。
しかし水沢が殺した人間たちの接点を探すうちに
過去に隠蔽され葬られた、まったく別の事件が
浮かび上がってくる。

看護婦の真知子は、幼い頃から独りぼっちだった水沢を
ただ一人温かく受け入れ愛してくれた女性。
彼女が撃たれたことで、全てに絶望した水沢は、独り山へ向った。
真知子の服とサンダルを持って。
やがて、山頂で凍死している水沢が発見される。

「水沢裕之の眼球は、雲海に浮かぶ富士山景を真っ直ぐに
見据えていた。その魂を犯し続けてきた《マークス》から
逃れ逃れてここに辿り着き、真知子と一緒に、一晩待ちわび
ていた天上の夜明けが、もうそこまで来ていた。」

このラストに泣きました。高村薫さんの小説は
この最後の数行あるいは数ページのカタルシスを描くために
これでもかというくらい細密なディテールを組み上げてあって
読み手にとってはそこがたまりません。
苦行の果ての快楽というかなんというか(笑)

ただ文庫版では、私が一番好きなこの部分が改訂されて
抒情性を抑えた、サラっとした感じになっていたので
私はハードカバーの単行本のほうが好きです。
ドラマにも映画にもなりましたが
このとおり、半端なく原作に入れ込んでいるもので
やはりどちらも物足りなさがありました。



アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

前回「イミテーション・ゲーム」のことを書いていて
「私は人間か、マシンか」のくだりで思い出したのが
「ブレードランナー」の原作のこの本だった。

最終世界大戦の死の灰によって汚染されつくした地球。
大勢の人間が火星に移住し、異星の環境で
下僕として働く、限りなく人間に近いアンドロイドが製造
された。しかし、火星で酷使されることに反発した
数体のアンドロイドが、地球へ脱走してくる。
賞金稼ぎのリックは、彼らを処分して賞金を得ている。

人間の社会に紛れ込んでいるアンドロイドたち。
誰が人間で、誰が機械かを見分けるのが、フォークト・
カンプフ検査法と呼ばれるテストだった。

放射能で、多くの生物が絶滅し、人間たちは
電気仕掛けの犬や猫、馬やヤギを飼っている。
そして人間たちの中にも、火星への移住を許可
されない特殊者、ピンボケと呼ばれる階層があり
それがイジドアだ。
そこにさらに、共感ボックスとかマーサー教といった
いわゆるスピリチュアルな精神世界的要素までが
加わり、この本は、科学技術一辺倒のSFとは
かなり趣が違う。(でも実はSF小説や映画が、科学技術
オンリーでないことが、最近やっと分かってきました)

人間とは何か、生命とは何か。
生きている、本物の動物を飼うことが
最高の贅沢であり、ステータスにもなっているような
あらゆるものが絶滅寸前の地球で、この本は問う。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」と。

この本との出会いは「ブレードランナー」を観たから
という、いかにもミーハーなものだったが
SFがそれほど好きでなかった私が
その後も何回も読み返したのは
筋の面白さだけで読ませる本ではなく
ある意味人類の未来を予見するような
広がりと深さを感じさせてくれたからなのだと思う。

映画の「ブレードランナー」は
リックとアンドロイドの対決を軸に描かれていて
それ以外の要素は大幅にカットされていましたが
小説と映画は、それぞれ肌合いの全く違う面白さがあり
どちらも、素晴らしくよくできていると思えました。
原作と映画の関係性を考える上で
とても参考になる作品なのではないかと思えます。

映画も本もなのですが、こういうコアなファンがおられて
優れた感想もたくさんある作品のことを書くのは
なんかおこがましい気がして、難しいです:(´◦ω◦`):


異邦人

今年の福岡は暑かった。
数日前の新聞記事によれば
8月の気温は、34度台が2、3日あるだけで
あとは全て35度超え。
夏も、太陽も大嫌いな私が、思い出したのがこの本。

「異邦人」 (1942) アルベール・カミュ作

「なぜ人を殺したのか」と問われて、ムルソーは答える
「太陽のせいだ」と。

最初に読んだのは高校生の時だから、40年以上昔だ。
不条理を描いた文学といわれ、そろそろ古典の仲間入りを
しそうな小説だが、文体も内容もさほど難解ではない。

第一部では「きょう、ママンが死んだ」という冒頭から
レエモンという友人のトラブルに巻き込まれたムルソーが
浜辺で出会ったアラビア人に向かって、5発の銃弾を
打ち込むまでの彼の行動が、淡々と語られる。

「なぜ人を殺したのか」と問われて、ムルソーは「太陽のせいだ」
という以上の、合理的な答えを見いだせない。
その答えを導くのは彼自身ではなく、検事や判事や弁護士
あるいは司祭や、彼が名前も知らない大勢の人々だった。

母親を養老院に入れたことに始まって、母親の葬儀で泣かなかった
こと、葬儀の時に煙草を吸ったりミルクコーヒーを飲んだこと
葬儀の翌日に海水浴に行き、恋人のマリイと喜劇映画を観たり
セックスしたりしたこと。

ひとつひとつは、誰でもやっているようなことで、もし親が死んだ直後
でなければ、特に問題にもならないようなムルソーの行動の
すべてが、殺人という行為と結びついて特別な意味を持ってしまう。
この小説では、もうひとつ、大きなテーマとして「神」の問題が
語られるのだが、そこは私の手には余るので言及しない。

ネットで、とてもたくさんの情報が発信されるようになって
何か事件が起きると、関係者についての情報があふれだす。
けれど、実はそれらはとても断片的なもので、それをうのみにして
「○○はこういう人間だ」と結論づけることはできないのではないか。
「異邦人」を読み返しながら、ふとそんな風に思う。

死刑が確定した後の、司祭とのやり取りの中で、ムルソーの内部の
何かが裂け、彼は「私はかつて正しかったし、今もなお正しい」と
叫ぶのだ。
「私はこのように生きたが、また別な風にも生きられるだろう。
私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが
別なことはした」
道徳がどうとか、法律がどうとか、信仰がどうとかいう次元の話ではなく
人間として、根源的に、自分は正しいと叫ぶ、ムルソーの主張。
それを是とするか、非とするかは、読み手に委ねられる。

自分自身の、いわゆる自我と言われるものと
外側の世界の、中には明確な根拠のない価値観を強要して
くる空気との間に、居心地の悪さやズレを感じるような人は
読んでみてもいいのではないかと。
でも「だったら人殺してもいいんじゃね」と考えるような人は
止めておいたほうが無難です。

怒り(上、下)

9月に映画が公開される「怒り」
著者は「パレード」「さよなら渓谷」「悪人」などの
吉田修一さん。

真夏の東京八王子の新興住宅で
夫婦が惨殺されるという事件が起きる。
現場には被害者の血で書かれた「怒」の文字が。
しかし犯人の山神一也という男は
事件から一年が経った現在でも行方がわかっていない
というところから、話が始まる。

そして千葉の漁協で働く洋平とその娘愛子の前に
あるいは東京のゲイの会社員優馬の前に
また沖縄の女子高生泉の周辺に
素性の知れない若い男が現れる。
手配中の山神に似ている三人の若者。

若者は時が経つにつれて、次第に
それぞれにとって大切な存在になっていくが
同時に、彼らの秘められた過去が疑惑を深めていく。
「彼は本当に残虐な殺人事件の犯人なのか」

登場人物は、誰もが、様々な悩みを抱えており
家族や友人との関係にもどこかひずみがある。
吉田さんは、こういう欝々とした感情や
気持の揺らぎを描くのがすごくうまい。
吉田さんの小説を読むと、この世界には
善人とか、幸せな人間なんていないんじゃないかと
思えてしまう。

人間関係も、自分の思考も、感情も
すべてがあいまいで、不安定だから
他者を心から愛したり信じることが難しい。
ほんの少しの衝撃で、愛情も信頼も崩れ去ってしまう。

誰が本当の山神なのかという、ミステリー要素で
ラストまで一気に読めてしまえたが
犯人が分かっても、殺人事件の真相も
「怒」という血文字の意味も結局は闇の中という
これまた読み手にストレスを与えそうな結末だ。

かろうじて未来に光が見えたのは、愛子と田代だけだが
私は優馬と直人のエピソードが一番好きでした。
素直に泣けました。映画も観るつもりですが
何しろこの結末なだけに
あまりヘンテコな、余分なオチをくっつけないで
ほしいなあと、心から願っています。


容疑者Xの献身

東野圭吾さんの小説の中で、お気に入りは
「白夜行」と「容疑者Xの献身」
「白夜行」はドラマと映画
「容疑者Xの献身」は映画化された。

弁当屋で働いている花岡靖子は女手ひとつで
中学生の娘美里を育てている。
そんな靖子に、別れた夫の富樫がつきまとい始め
ほんのはずみで、親子は元夫を殺してしまう。
途方にくれる二人に救いの手を差し伸べた人物が
いた。靖子たちの隣の部屋で暮らす、風采のあがらない
高校の数学教師石神だ。

最初から犯人は分かっているという
いわゆる倒叙形式のサスペンス。
石神は実は天才的な数学者で、靖子たちを救うために
誰も思いつかないような完璧で渾身のトリックを作りあげる。
それを、石神の大学時代の親友で、天才物理学者の湯川
が解き明かしていくという、謎解きの面白さはもちろんあるが
それ以上に魅力的なのが、石神という人物のキャラクターだ。

一年前生きる目標を失って、自ら死を選ぼうとした石神に
生きる意味を教えてくれたのが、隣に引っ越してきた靖子たち
親子だった。彼女たちの存在に、石神は
通常の恋愛感情を超えた、ある種の真理を見出し
自分のすべてを賭けて、彼女たちを守ろうとする。

「崇高なるものには、関われるだけでも幸せなのだ」
そしてそれは、石神がそれまで愛してやまなかった数学にも
相通じるものなのだと、彼は思った。
この感覚が分からないと、石神に共感するのは難しい。
靖子たちのアリバイを作るために、無関係な人間を殺すという
非情も冷酷も、このありえないほどの純粋さで相殺されている
と、私は思う。良識や道徳の眼鏡をかけて見たら
見えなくなってしまう美しさがある。

石神の思いに反し、結局靖子は自首をする。
「石神さんと一緒に罰を受けます」」と。
絶望と混乱の中で、石神は獣のように吠え、叫ぶ。
けれど、これは人間の魂が、苦痛と悲しみの果てに迎えた
とても美しいハッピーエンドなのではないかと思う。

ちなみに映画版も、石神先生を演じた堤真一さん、ステキでした!
ただ映画版は、無難な出来ではありましたが
圧倒的な密度の濃さから言って、やっぱり原作の勝ちかな。

プロフィール

田中偲

Author:田中偲
50年以上映画を見続けてきた、でもただのミーハーな映画好きの、備忘録的感想文

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